手紙編


 が手紙を書きたい、と言った。
 すぐさま侍女の璃が漆塗りの箱を捧げもってやってきた。
 侍女や女官というものは、実に神出鬼没。

 璃さん、今までどこにいたんだろう。
 侍女だから控えの間とかにいるのかなぁ〜。
 城みたいに、部屋の側で控えていて、呼ばれるとすぐにやってきて。
 ってことは話、聞かれてる……!
 しかも、耳なんか澄まされちゃって、聴かれてる。
 変なこと言ったの、全部聴かれてるんだぁ〜。
 わぁ、どうしよう……。
 次からは気をつけなきゃ。

 漆の箱から四方文宝があらわれる。
 硯、墨、筆、紙。
 卓の上に並べられたそれらは、一目で高級品とわかる趣をしていた。
 とにかく、全てが高そうなのだ。
 少女の目の色が変わる。

 売ったら、すごく良い値段に……。
 って、これ司馬懿様の家のものなんだからダメっ!!
 そんなことをしたら、泥棒になっちゃう。
 第一、お世話になっているというか、命の恩人なんだし!

 は首を横に振る。
 新品のそれらに、抗い難い引力を感じ、少女は手をそろそろと伸ばす。
「お前用だ」
 司馬懿の言葉に、は伸ばしていた手を引っ込める。
 何故か、さわってはいけない気がした。

 一式が自分用……。
 こんな高そうなものが。
 なら、売っても……いいわけないよね。
 ろくに扱えないんだから、一番安いヤツでいいのに。
 硯とか、高そう。
 殿がこの間自慢していた硯と石の感じが似てる。
 墨も、司馬懿様が趣味用に使ってるのと、同じ香りだし。

「必要になるだろう」
「高そうです」
「品は良いだろうな。
 そういう物のほうが長く使える。
 粗悪な品を使い、一年で捨てるよりは、良いものを一生使ったほうが良いだろう」
「結果的には安上がりってことですか?」
 少女は小首をかしげる。

 お金持ちって、考えること違うんだ。
 筆を一生使うなんて、考えたこともないや。
 都に来るまで、さわったこともないし。
 本当に、不思議……。

「そういうことだ」
 司馬懿の言葉に、少女は納得した。
 元々、何かを深く考えることが苦手だった。
 興味はすぐにそれる。
 黒く大きな瞳は、侍女の璃の姿を追う。
 璃はパタパタと室内のしつらいを整える。
 窓を開け、換気をし、お茶を淹れる。
 には薬湯と、口直しの果実水だ。
 墨をすり、綺麗な紙を用意する。
 侍女であれば当然の仕事。
 曹魏の城で、護衛武将だった頃、がしていた仕事だ。

 仕事を取られてしまったみたい。
 それに自然だから、司馬懿様も気にしていない。
 入りたての侍女さんとか、気が利いてないって、難点ばっかりつけるのに。
 璃さんには、何も言わない。
 何だか、悔しい……。

 の思いを当然ながら無視して、璃は一礼して退出する。
 見事な侍女振りであった。
 だから余計に、羨ましくなる。
「薬湯は嫌いか?」
 司馬懿の声で現実に戻された。
「へ、あ。
 体に良さそうな味がしますよね」
 は、忘れ去られていた薬湯に手を伸ばす。
 見るからに美味しくなさそうな色をしていたが、少女は口をつける。
「顔色が良くなる、とか薬湯にあればいいのに」
 はポツリとつぶやく。
「あれは不味い」
「あるんですか?
 じゃあ……って、飲めば……あれ?
 もしかして、司馬懿様、飲み続けてないんですか?
 薬湯って、元気になるまで飲み続けなきゃダメって。
 璃さんが言ってたんですけど」
「怪我や重い病気ならな。
 顔色が悪いぐらいでは死なない」
「そりゃあそうかもしれないですけど……」

 司馬懿様、お薬嫌いなのかなぁ。
 まあ美味しくないけど。
 お薬好きな人って少ないかも。
 でも、顔色悪いのって損してるような気がする。
 だって、司馬懿様のこと嫌いな理由に挙がってるし。
 もっと女の人にモテるようになるんじゃ。
 せっかく美形なのに……。
 って、司馬懿様が他の女の人といわゆる親密になるのって……全然嬉しくないから、やっぱり今のままで!

 は薬湯を飲みきり、果実水に手を出す。
「あ、そうだ!
 ありがとうございます!
 甘いものが好き、って伝えてくださって。
 だから、薬湯の後、甘いものがもらえるんです。
 密かな楽しみなんですよ♪」
「子どもだましだ」
 甘党ではない青年らしい発言だった。
「私、子どもですか?」
「違うのか?」
 やや黄色がかった茶色の双眸がを見据える。

 そりゃあ、司馬懿様から見れば八つも年下だし。
 司馬懿様の周りには、綺麗な女の人がいっぱいで。
 比べられたら、私は子どもなのかもしれないけど……。
 ……子どもかも。

「…………否定しようと思ったんですけど、無理でした」
 はためいきと共に言った。
 それに司馬懿は小さく笑った。

    ◇◆◇◆◇

 果実水も飲み終え、手紙を書くために、は筆を持つ。
 が、どう書き出していいのか悩む。

 元気にやってますって書いたら嘘だし。
 大ケガで最近まで寝てました……ってダメ。
 ケガのことはふれないようにしなきゃ。
 お母さん、心配させちゃう。
 護衛武将辞めたこと書いて。
 でも、辞めた理由書いたら心配しちゃうよね。
 だって大ケガしたんだもん。
 それで、司馬懿様の家でお世話になってるって。
 あれ? どうしてお世話になってるんだろう?

「書けない文字でもあったのか?」
「違うんです。
 どうして、私、司馬懿様の家でお世話になってるんですか?」
「婚約者だからだろうな」
「……」
「まさか、忘れていたのか?」
「覚えてます」
 ついさっき、叫んだばかりなのだ。
 鶏よりも記憶力には自信がある……つもりだ。
「これからずっと司馬懿様と一緒なんですよね。
 死ぬまで、ずっと……。
 不思議な感じです」

 未来は想像がつかない。
 一年後の今日も、こうして司馬懿様とお話しているのかなぁ?
 その次の年も、さらに次の年も……。

「手紙はいいのか?」
「え、あ。そうだ」
 はためいきをついた。

 何て書けばいいんだろう。
 正直に書かなきゃいけないのに。
 でも、本当のこと書いたら心配かけちゃう。
 お母さん、病気がちなのに。

「代筆をしてやろうか?」
「えっ!」
「そのほうが早いだろう」
「ダメです!
 司馬懿様の字と私の字、違うじゃないですかっ!
 しかも、司馬懿様のことだから、難しい言い回しを使いますよね。
 なんて書いたのか、私にすらわからないものになっちゃいます」
 自分の名前で出される、中身のわからない手紙。
 そんなものは、恐ろしすぎる。
「それにこれ、家族以外も読むんですよ」
 あっという間に里中に広がってしまう。
 どうにか自力で書かなければ。
 は考え込む。
「個人的な手紙を見せ合うような習慣があるのか?」
「違います。
 字を読み書きできる人って少ないじゃないですか。
 私の家でも、弟がちょっとできるぐらいで。
 隣の村に住んでいる、弟の勉強の先生に、手紙は読んでもらってるみたいです。
 うーん。なんて書こう」
 は困る。

「幸せに暮らしている」

 司馬懿は言った。
 少女は目を瞬かせる。
「と書けば良いだろう」
「そうですね!
 それは嘘じゃないです。
 司馬懿様はやっぱり頭がいいですね♪」
 はニコッと笑い、紙に書きつける。


 『みんな元気にしていますか?
  私は、今とても幸せです。
  毎日が楽しいです。
  いいことばかりです。
  
          

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