夢の中、ずっとそのことばかり考えていた。
きっと夢から覚めていても、考えることは同じ。
ずっと、その人のことばかり、考える。
背中ばかり追いかけていたから。
夢の中でも、その背中を追いかけていた。
のどの渇きを覚えて、目を開いた。
まだ、夢を見ているのかと思った。
薄ぼんやりとした世界が広がっていた。
何だか、とても快適で、ふわふわしたものに身体が横たえられている。
「司馬懿様」
少女は口を開いた。
変な声。
ずっと、眠っていたから……?
風邪引いたときにみたい、かすれちゃってる。
すぐ傍にいた青年は、耳を寄せる。
衣擦れと共に、墨の香りがする。
「どうした?」
「司馬懿様、顔色が悪いです。
寝不足ですか?」
は思ったことを、いつもどおりに口にした。
「目覚めて、開口一番に言うことがそれかっ!?
私よりも顔色の悪い人間に、言われたくないわ!」
司馬懿は怒鳴った。
「へっ?」
司馬懿様よりも、私、顔色が悪い……?
何で?
健康だけが取り柄なのに。
それすらなくなっちゃったら、取り柄なんて一つもないような。
……正真正銘の役立たず!?
「すみません」
何となく、は謝った。
「とりあえず、減らず口を叩けるようになったようだな」
青年はためいきをついた。
変な感じがする。
……………………。
そうか。
私が寝転がっていて、司馬懿様が私を覗き込んでるからだ!
あれ?
何で、私は寝てるの?
それよりも……。
「司馬懿様、ここ、どこですか!?」
柔らかい寝台。
あったかい布団。
が寝るには、贅沢すぎる調度だ。
「曹魏の都だ」
「都へ帰ってきたんですね。
ああ、それで。
って、都のどこですかっ?
私の部屋じゃありません!」
はあわてる。
「安心しろ。
荷物なら、運ばせた」
「あ、そうなんですか。
良かった……って、司馬懿様、私の部屋を見ちゃったんですか!」
「わざわざ、護衛武将の部屋に行くか。
下官にやらせたに決まっているだろう」
「……それなら良いです」
「もちろん、報告はもらったがな」
「えぇ!
いつもはきちんとしてるんですよ。
たまたま、ちょっと……いえ、かなり、散らかっていたかもしれませんが。
でも、もうちょっとマシなんです〜!」
は必死に弁解する。
「片づけが苦手のようだな」
「たまたまなんです!
整理整頓が苦手だったら、司馬懿様のお仕事のお手伝いできないじゃないですかぁ!
って……え、あ。
私の部屋、もうないんですか!?」
「あの部屋は、護衛武将に与えられる部屋だ。
解雇された者が使い続けていいはずなかろう」
司馬懿は言った。
そっか。
私、クビになったんだ。
ケガしちゃって。
それで、クビだって。
司馬懿様に言われて……。
だから、部屋もないし。
「ん?」
は大きな瞳を瞬く。
「司馬懿様、ここどこなんですか!?」
「知りたいのか?」
「はい!
当たり前じゃないですか」
「ほお。
そんなに知りたいのか」
「えっ」
「世の中には、知らないほうが幸せという類の知識もある。
後悔は先にはできない」
青年は口の端をゆがめるように、笑う。
「えーと。
何だか、知らなくても良いような気がしてきました。
あれぇ、あはははは」
「知りたかったのではないのか?」
「おいおいわかるかなぁって。
無理に、今、知らなくても良いかもしれません」
は困ったように笑う。
「私の屋敷だ」
ポンと司馬懿は答えた。
思わず、は納得しかけて
「えぇぇ!
私、どうして司馬懿様の家にいるんですかぁ!?」
叫んだ。
「どうしても何も。
私の未来の妻だからだろうな」
「………………」
「何か、問題でもあるのか?」
「忘れていました」
はサラッと言った。
「…………なるほど」
今、堪忍袋の緒が切れるみたいな音を聞いた気がする。
司馬懿様、もしかして、怒ってる?
だって、だって、だって。
司馬懿様の未来の…………だなんて。
絶対、変だから。
あれ、ドキドキしてきた。
頬に手をやろうとして、は違和感を覚えた。
右手がおかしいのだ。
少女は布団の上に出ている右手に目をやった。
「!!!!」
驚きすぎて、声が出なかった。
まず自分の目を疑って、それから馴染んでしまった感触なんかを疑った。
の右手はしっかりと司馬懿の手を握っていた。
アザができるんじゃないか、という勢いで握りしめている。
「言っておくが、お前が握ってきたのだからな」
「は、はい!
す、す、スミマセン〜!!」
はあわてて司馬懿の手を離した。
な、な、なんで。
握っちゃって。
だから司馬懿様、振り払えないっていうか。
どう考えても握力とか、私のほうがあるよね。
それで、傍にいてくれて……じゃなくて、傍におらざるを得なくて。
私、何てことしちゃったんだろ。
いくら無意識だって、言っても。
混乱している少女の手を、青年は包み込むように握る。
背丈の差の分、二人の手の大きさは違う。
白く細長い指がの手を握る。
ふれた場所から伝わる温度は、自分のものと一緒。
かすかに熱を持っていた。
「司馬懿様、変です!」
パニックを起こしている少女は、思っていることを口にした。
「これからは、これが自然になるのだ。
慣れろ」
命令口調のその声は、やさしく甘かった。
逆らう方法など見つからず、少女はうなずいた。
夢の続きかと思った。
目が覚めて、一番はじめに見たものが、追いかけていたあの人の横顔だったから。