戦場


 澄み切った青空。
 ぴーかん、良いお天気。
 はほけほけと空を飛ぶ鳥の姿を眺めていた。
 もちろん、現在仕事中。
 しかも、戦場♪


 煙と何とかは高いところが好きって言うけど、司馬懿様ってホントに高いところが好きだよね〜。
 

 は紫尽くめの軍師を見遣る。
 敵の陣営に、ケチをつけている真っ最中。
 その表情は書類整理をしているときの何倍も、輝いていた。
 城壁の上、長々と演説をするものだから、周囲の兵たちも迷惑気味だった。
 一番迷惑しているのは、護衛武将のである。
 直立不動の体勢でいるのは肩が凝る。


 何だって、こんな目立つところで話すんだろう〜。
 私にも、ちっともわからない兵法の美学を語られてもなぁ。
 もっと一般の兵士さんとか、ちんぷんかんぷんじゃないのかなぁ?
 敵に狙われたらどうするんだろう?
 司馬懿様って、すっごく目立つ服装なわけだし。
 高いところにいるってだけで狙いやすいのに。
 そのために護衛武将の私がいるわけだけど。
 私の存在意義を活かしてくれなくてもいいよねぇ。
 できるだけ楽して稼ぎたい……。
 お茶くみとかのほうが安全かつ安定して稼げるんだけど。


 は心の中でぼやく。
 ぼーっとしているとしゃべってしまうこともあるので、意識的に口を閉じて。
 演説は最高潮を達する。
 よくもまあ、これだけ悪口が出てくると感心するほど罵倒が飛ぶ。
 でも、敵に同情してしまうぐらいだ。
 司馬懿は息を大きく吸い込んだ。
 少女は身構えた。
 名物高笑いが始まる前兆だった。

 が、の手が無意識に矢筒に伸びる。
 素早く一本引き抜き、弦を引ききった。
 矢は空気を切り裂きながら一直線に飛んでいく。

 ほどなくして岩陰から悲鳴が上がった。
 それで、ハッとは気がついた。
 突き刺さるような視線と、自分が行なったことに。
「あれぇ〜。
 今、何しちゃったんだろう……」
 完全に無意識下の出来事だった。
 やがて興奮から少女は落ち着き、きょろきょろと辺りを見渡して、それから小首をかしげた。
「司馬懿様のお話を遮るつもりなんて、これっぽっちもなかったんですよ。
 ちょっと話が長いかなぁ〜。
 早く終わらないかなって。
 終わったら、朝早かったからお昼寝でもしたいなぁ、とは思ってましたけど。
 全然、全く、邪魔するつもりはありませんでした。
 結果的にはそうなっちゃったかもしれませんけど、努力は認めてください!!」
 は懇願した。
「馬鹿めがっ!」
 黒羽扇が振り下ろされる。
 その軌道に合わせて、紫色のビームが放たれる。

 シュンッ

 は高い反射能力で避ける。
「ひ、ヒドイです!
 いくら高笑いの邪魔したからって。
 こんな近距離でビームを撃ちますか!?」
「黙れっ!!
 その一言多い口を塞いでやる!!」
 己の護衛武将に向かって言う台詞とは思えないことを司馬懿は言い放つ。
 狭い城壁の上だというのに、遠慮なくビームが飛んでくる。
「それはちょっと、ムリですよぉ〜。
 私、おしゃべりなんです。
 口数が多いのは、個性と言うことで」
「今日と言う今日こそ、許さぬ!」
 ビームがさらに追加されたあたりで、司馬懿の怒りの度合いがわかるというもの。
 は逃げ場がなくなって、とうとう城壁の縁まで来た。


 ひいぃー。
 地面まで、あんなに距離があるぅ。


 は涙を浮かべる。
 そこら辺の兵士よりも頑丈とは言え、護衛武将だってただの人間である。
 死ぬ時はあっさり死ぬ。
 城壁から落下したら、ほぼ大怪我をする。
 丈夫過ぎる武将たちとは違い、無傷でかっこ良いカメラアングルで飛び降りるなんて、護衛武将には無理なのだ。
 
 シュンッ

 の背後で不穏な音が。
 避けきれない!!
 紫色のビームに当たるか、地面と仲良しになるか。
 少女はぎゅっと目を閉じた。

 が、しかし。
 いつまでたっても、何も起こらなかった。
 おそるおそる目を開ける。
 顔の前にふよふよと綺麗な薄青色の珠が飛んでいた。
 思うよりも先に体が動く。
 はその場に、しゃがみこんだ。
 
 シャンッ

 妙なる音色を立てて珠は飛び散った。
 陽光にキラキラと溶けながら、跡形もなく砕けた。
 直前に避けたの髪の一部を凍らせながら。
「司馬懿様、ヒドイですぅ〜」
 は立ち上がり、己の髪にふれる。
 氷の欠片がくっついていて、変な感じだった。
「フハハハハハ」
 司馬懿は上機嫌に高笑いをした。

 やっぱり、高笑いを邪魔したからキレたんだ。
 と、は上官の性格を再確認した。



 夕闇迫る頃、後続部隊が続々と到着する。
 その中に、の見知った武将の姿もあった。
 戦場に来ても政務に予断のない司馬懿の傍にいるのも飽きたは、ヒョコヒョコと出て歩く。
 あれに見えるは、魏の紳士、張遼。
「文遠様〜、こんにちは〜!」
 はニコニコ笑顔で走りよる。
 部下にテキパキと指示していた張遼は、少女の姿を見とめ、相好を崩す。
「これは、殿。
 今日は大活躍だったようですな」
「?」
 は小首をかしげる。
「陣はその噂で持ちきりですぞ」
「あ、あれのコトですか!?
 司馬懿様の高笑いを邪魔したから、すごーく怒られました。
 確かに、司馬懿様の話を邪魔できる人間なんて、殿か敵の諸葛亮ぐらいしかいませんけど〜。
 そんなので、大活躍だって言われても〜」
「敵兵から、司馬懿殿を守ったというのは、賞賛されて当然です」
「守ったつもりはないんですけど。
 あ、違う。
 守るつもりはありますよ、司馬懿様の唯一の護衛武将ですから」
 少女は嬉しそうに言った。
 『唯一』のところに力を入れて。
「でも、あの時は。
 無意識だったんです。
 気がついたら、で。
 全然かっこ良くないんです……」
 は困ったように笑う。
「それは日ごろの鍛錬の賜物でしょう。
 殿は、一生懸命ですからな」
「それだけしか良いところありませんから。
 ……それに、努力しないと、司馬懿様から見捨てられちゃいます」
「司馬懿殿にクビにされたら、私のところに来れば良い」
 張遼は言った。
「え?」
「今日の一件で再確認いたした。
 殿の弓の腕前は並々ならぬものがある。
 是非、私の護衛武将となってはくれまいか?」
 張遼は真剣に言う。
 

 えーと、これって。
 ヘッドハンティングってこと?
 つまり、んー?
 クビにされた後も、再就職先があることは良いことだけど。
 でも、司馬懿様はクビにしないってこの前言ってたし。
 何かやらかして、突然クビになるかもしれないけど……。
 それに、司馬懿様の傍にいたいし。
 んーっと……


 突然の申し込みにが混乱していると、低く落ち着いた声が降ってきた。
「勝手に決められては困りますな。
 将軍は最前線で戦ってもらわねばならぬのに、こんな役に立たない護衛武将をつけるわけにいかない。
 魏軍の戦力が削られてしまう」
 薄暗い中でも白い手がの肩をつかみ、少女の体を引き寄せる。
 はバランスを失って、後に倒れこむ。
 朽ちた葉のような墨の香りに包まれた。
「司馬懿様!?」
 はびっくりして、青白い顔を見上げた。
「それは過小評価ですな。
 殿は、護衛武将でも一、二を争う弓の名手。
 前線に立っても全くおかしくはない」
「それは我が軍に弓を得手とする護衛武将が少ないため。
 こやつが図に乗るような発言は控えていただきたい」
「現に夏侯淵殿も、認めているではありませんか。
 その腕が、失礼ですがあまり戦場に出てこない貴公の護衛武将に甘んじているとは。
 それこそ魏軍の損失では、あるまいか?」
「損失も何も……。
 おい、お前の目的は何だ?」
 司馬懿がに尋ねる。
 かなり本人無視した会話の成り行きに、ハラハラしていた少女は
「え?」
 間抜けにもそんな声を上げた。
「お前は何のために、この魏軍にいる?」
 司馬懿は問いを重ねた。
「お金儲けです!
 楽して稼げたら言うことなしですね!」
 条件反射では答えた。
「わかったであろう」
 司馬懿は勝ち誇ったように言った。
「……なるほど、ここは私が引きましょう」
 張遼は渋い顔でうなずいた。
「行くぞ」
 司馬懿はを引きずるようにして、その場を立ち去った。


 天幕の中。
 司馬懿のありがたいお説教を、は座りながら聴く。
「ちょろちょろするな、と何度言えばわかる?」
 司馬懿は不機嫌に言った。
「やっぱり、高笑いの邪魔したこと、根に持ってますか?」
「誰がそんなことを訊いた?」
「司馬懿様の機嫌の悪い理由が、それぐらいしか思い当たらないからです」
「……。
 お前は私の護衛武将だ。
 勝手に出歩くな」
「気が散るから、天幕の外に出ろって。
 司馬懿様は、言いましたよね」
「出歩けとは言っていない」
「……はい。
 もう、しません」
 は膝の上に乗ったこぶしに目をやる。
「わかったなら、もう良い。
 好きなところに行け」
「司馬懿様、矛盾しています」
 つい突っ込みを入れてしまう。
 それが騒ぎを大きくするとわかっていても、言わずにはいられないのが、この少女らしいところだった。
「他の武将に迷惑をかけるな」
 司馬懿はためいきと共に告げる。
「じゃあ、同じ護衛武将の先輩のところとかなら良いですか?」
 は司馬懿を見上げた。
「まあ、それなら良かろう」
「今度は、そうします」
「行かないのか?」
「ここにいたら、ダメですか?」
「仕事の邪魔をしないならな」
「はい、大丈夫です。
 黙ってますから」
 は言った。




 それから数分後、少女は眠りの中の住人になった。
 今日は朝が早かったため、当然の結果だった。
 司馬懿の天幕の隅、敷物の上で猫のように丸くなっては眠る。
 翌朝、少女は自分に外袍がかけられていることに驚く。
 しかも、それが上質の絹で織り上げられた青紫色の衣であったから、余計に。

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