おはじき


 司馬懿の書卓の上に、バラバラとそれらはまかれる。
 傾き始めた日差しは黄色を帯びていて、それらをキラキラと輝かせる。
 皆、同じ大きさだというのに、色はさまざまだ。
 一目見て、高級なものと見て取れる。
 それらは、司馬懿の読んでいる竹簡の上に、チャラチャラと音を立てて落ちる。
 司馬懿は顔を上げて、それをした犯人を見上げた。
 犯人は今日もニコニコ笑顔を浮かべていた。
「何の真似だ?」
 司馬懿は問う。
「殿からもらったんです。
 司馬懿様と遊ぶようにって」
 は言った。
「殿のか」
 司馬懿はそれを一つ取る。
 弾棊(おはじき)のコマの一つ。
 本来は木製なのだが、凝りに凝ったそれは玉製であった。
 蛍石だろうか。
 ……。
 紫色と青緑色が混じった、悪趣味なおはじきだった。
 竹簡の上に転がったおはじきは、どれもこれも陰鬱な色彩だった。
 赤黒い色、紫と青の混合、艶のない黒、どどめ色、沼のような深緑、緑と茶色のマーブル。
「もっとマシな色合いはないのか?」
 司馬懿は手にしていたおはじきを書卓に置く。
「司馬懿様っぽい、色を選んできました」
「……」
「たくさんあって選ぶの、苦労したんですよ。
 どれも、司馬懿様っぽいと思いませんか?」
「お前の中の、私のイメージはこれだと?」
 司馬懿は平静を装って尋ねた。
「はい!
 一緒に、遊びましょう!」
 はニコニコと笑った。
「ふざけるなっ!」
 司馬懿は立ち上がり、書卓の上のおはじきを払った。
 いくつかのおはじきは、床に落ちて砕けた。
 もとより硬度の低い、観賞用のコマである。
 当然の結果だった。
「あぁ〜」
 はしゃがみこみ、砕けたおはじきを拾う。
「司馬懿が二つもくだけてます」
 潤んだ黒い瞳が司馬懿を見上げた。
「は?」
「せっかく、殿からもらったのに。
 司馬懿が、司馬懿が……」
「人の名前を呼び捨てにするな!」
「司馬懿様じゃありません。
 おはじきです」
「おはじきに名前をつけるんじゃない!」
「どうしてですか?
 最初は、仲達にしようと思っていたんですけど。
 失礼になりそうだから、やめたんですよ」
「当たり前だ!」
「だから、司馬懿にしたんです」
「どうして、そうなる!?」
「愛着が持てるかなって。
 司馬懿がくだけちゃいました」
「だから、人の名前を呼び捨てにするなと言っているだろうが!」
「司馬懿様じゃありません。
 おはじきの司馬懿です」
「くどいっ!
 そのおはじきを私の名前で呼ぶのは禁止する。
 命令だ」
「えー!
 横暴です。
 せっかく、名前をつけてあげたのにぃ」
「ふん」
 司馬懿は椅子に座りなおした。
「じゃあ、今日からなんて呼べばいいんですか?」
 恨みがましくは司馬懿を見る。
「物に名前をつけてどうする」
「……はい」
「しまえ」
 司馬懿は残りのおはじきを示す。
「はい」
 はのろのろとおはじきを腰につけた錦袋にしまい始める。
 砕けた二つのおはじきだけは、紙に包んで懐に大切そうにしまう。
 司馬懿は、金にがめつい護衛武将が売らずに大切にしている。ということを失念していた。
 砕けたおはじきを拾うときだけ、は痛ましい表情を浮かべた。
 普段の明るい顔とは大違いだった。
「そうだ。
 司馬懿様に差し上げます」
 は書卓の端っこにおはじきを置いた。
 天青石でできたものだろうか。
 透明な水色をした石だった。
「おはじきに使うような石じゃないから、って。
 殿から注意を受けたんです」
「こんなもので弾棊をしたら、あっという間に砕けるぞ」
「はい、殿もそう言ってました。
 だから、司馬懿様に上げます」
「よくわからぬ理屈だな。
 これだけは、まともな色をしているのは何故だ?」
 司馬懿はを見た。
「一つぐらい私みたいなコマがあっても良いって。
 いっぱい司馬懿様みたいな色を選んでたら、殿が言ったんです。
 だから、私が好きな色を選びました。
 こんなきらきらしたものになれたら良いなって。
 ……高望みですよね」
 はうつむいた。
「自分を磨けばよいだろう。
 やりもしないうちに諦めるような者を傍に置く趣味はない」
 司馬懿は読みかけの竹簡に視線を移す。
「はい!
 頑張ります!!」
 いつもの明るい声が返事をした。


 数日後、は弾棊のコマを二つもらった。
 観賞用のそれは若草色と桜色だった。
 そして、司馬懿の書斎の書卓に、弾棊の役に立たぬ水色のコマがいつまでも置かれていた。
 来客者の小首を傾げさせるには十分な不思議だった。
 が、司馬懿はそれらの失礼な質問には黙秘を通したのだった。

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