「一つ訊きたいことがある」
ある日の昼下がり。
上官の司馬懿が言った。
「何ですか?」
こちらも気軽に尋ねた。
「お前は、護衛武将だな」
確認するまでもないことを確認されて、はきょとんとした。
「はい、そうですよ」
「一度も、それらしいところを見たことがないからな」
司馬懿は黒羽扇をゆったりと扇ぐ。
「それは司馬懿様が戦場に行かないせいですよ。
軍師があまりまくっている魏軍では、司馬懿様の活躍する場所が……」
はそこで言葉を切った。
ぶしつけを通り過ぎて、凝視とも言える視線を受けたためだ。
マズイ……。
言い過ぎたぁ〜。
「続きは、どうした?」
司馬懿は先を促す。
「あはは。
続きは、忘れました」
背筋に汗が伝うのがわかる。
しかも、不規則な動悸つきだ。
「そうか。
お前はずいぶんとうっかりしているのだな」
「そうなんですよ〜。
ホントに、困っちゃいますよね〜」
「と言うと、思ったか。
この馬鹿めっ!」
黒羽扇が振り下ろされる。
それと同時に、紫色のビームが発射される。
三国一、切れやすい軍師様である。
は持ち前の反射能力で、それを避ける。
不吉な色の光線は、戸をほんのちょっぴり焦がして、拡散した。
殺される。
真面目に、殺される。
事故に見せかけて、必ず殺される。
訳のわからない不安に駆られる。
「ごめんなさいです」
は涙目で謝った。
「ふんっ」
悪気が全くない軍師様は、冷笑する。
「それで、腕前のほどが見たい」
「何のですか?」
「お前の弓の腕前に決まっているではないか!
この馬鹿めっ!」
「わかりませんよ!」
ついつい、怒鳴り返してしまった。
「私の護衛武将ならば、賢くなれ」
高圧的かつ陰険そうに司馬懿は言った。
「……はい」
はうなずいた。
鍛錬場。
百歩ほど離れている的を狙って、は矢をつがえる。
鍛錬を欠かしたことはないが、これはやりづらい。
痛いほどの視線を感じるのだ。
これで、失敗とかしたら、クビなんだ。
そしたら、明日からどうしよう。
むしろ、故郷にいる小さな弟、妹たちはどうなるんだろう。
私がお金を稼がなきゃいけないのに。
雑念入りまくりである。
弓を持つ手にも震えが走る。
慎重に弦を引き絞る。
弓がたわんで、キリキリと音がして。
矢は放たれる。
へにょん
効果音にしたら、そんな感じである。
的から思いっきり外れた。
弓兵として、その腕前はどうよ。と、小1時間問い詰められてしまうぐらいに、へっぴりであった。
は慌てて、2本目を射る。
結局、矢筒の中の矢を全部使っても、は的をかすりもしなったのだ。
「よく、わかった」
司馬懿が重々しく口を開いた。
「全く才能がないな」
白く細い指が、落ちている矢を一本拾った。
「こんなはずじゃないんです。
いつもはちゃんと当たるんです。
ここまでひどくありません。
ちょっと、緊張しちゃって……。
だから、クビにしないでください」
は懇願する。
「クビにするとは、誰も言っていないだろう」
「あ、そうですよね。
ちょっと、早とちりしちゃいました」
はニコッと笑う。
「クビにしないとも、言ってないがな」
司馬懿は残酷なことを言う。
「お願いです、司馬懿様!
何でもするんで、クビだけは勘弁してください!」
「ほう。
何でもするのか……」
もしかして、地雷を踏んだんでは。
の顔が引きつる。
「しばらく、私のお茶でも汲んでいろ。
実戦は、まだまだ先だな。
最近、呉が大人しくて助かる」
司馬懿はの手に拾った矢を乗せる。
「精進しろ。
努力しない者は、好かぬ」
司馬懿はそう言うと、踵を返す。
「は、はい!」
クビを免れたことがわかった少女は、元気良く返事をした。