あなたの元へ

 そっと息を吐く。
 間隔が浅くなっている。
 ようやくあなたの元に行ける。
 そう思ったら、これから到る『死』が怖くなくなった。
 怯えるものはない。
 縛りつけられていた心が自由になるのだ。
 そう感じられたら、微かに唇が緩む。
 あなたと別れ、短かったような、長かったような時間が通り過ぎた。
 全ては思い出という名の過去になった。
 今頃、あなたはどうしているだろうか。
 いつものように野を駆け回っているのだろうか。
 それとも蓮の花を短く切った髪に飾っているのだろうか。
 幸福だといい。
 あなたの過ごす世界は、柔らかで優しいものだといい。
 そうであってほしい。
 あなたの元へ行ったら、私を見つけて微笑んでくれるだろうか。
 そして、懐かしい声色で『陸遜』と呼んでくれるのだろうか。
 あなたは変わらない、と私は心からの笑みを浮かべられるだろうか。
 作り物ではなく、その場に合わせた笑顔ではなく。
 自然と零れるような笑顔で、あなたの名前を呼ぶのだろうか。
 かつてのように。
 まだ何も知らなかった子ども時代のように。
 恋を知らずに、手を繋いだ。
 愛を知って、ほんの少し距離が開いた。
 告げることはなかったけれども、幸せな日々だった。
 その頃に戻れるのだろうか。
 くりかえす息が浅いものになってきた。
 私は充分に生きたのだから、引き止めないでほしい。
 あなたの元へと行きたいのだから。
 ただ一人、愛したあなたの元へと向かう。
 静かにまぶたを閉じる。
 あなたが私の名を呼んだような気がした。
 空耳だろうか。
 それとも、迎えに来てくれたのだろうか。
 どちらでもいい。
 そう遠くない時間に、あなたの元へと行くのだから。
 昔のように時を過ごすのだ。
 だんだん世界が暗くなってきた。
 だから私は、無意識にあなたの傷だらけの手を探した。
 もう二度と離さない、そう胸に誓って。

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