明けない夜

 昼だというのに光が失われた。
 それがそのまま朝の運命を表すようだと思った。
 沈まない王朝はなく、玉座を去らない王はいない。
 曹丕は「朝(あさ)」そのものが喪われたのだと知った。
 夜は二度と明けない。
 それを知った。
 太陽はほどなく姿を見せ、空は旗のような青さを取り戻した。
 夏特有の射るような日差しには陰りを探すのは難しかった。
 己の足から伸び出る影を除けば、闇などない世界が戻ってきた。


 その日、二度目の闇を迎える時間。
 曹丕は院子にたたずんでいた。
 居場所を探し歩いて、ようやく納まった場所は思い出深い院子だった。
 笛の音を聴いた。贈る花を求めた。笑顔を見た。会話を交わした。
 ふいに、佳人が現れるのでは……と薄い期待を持つほどに、記憶に新しい。
 やがては散る花を見ながら、曹魏の皇帝は口を開いた。
「誰よりも愛していた」
 やさしい朝だった。
 闇を払う眩しいほどの朝だった。
 悩みも、不安も、苛立ちも、すべてを去らせる朝そのものだった。
「これから先、あれほど愛するものに会うことはないだろう」
「あの方は存していらっしゃったのですか?」
 影のようについてきた痩躯の男が尋ねた。
「どうであろうな。
 私よりも、私を知っていた女だ。
 知っていたかもしれぬ」
 曹丕は空を仰ぐ。
「だが、言ったことはなかった」
「そうですか」
 司馬懿は言った。
「愛していた」
 喪って初めて口にできる言葉だった。
 記憶の中にしかいない存在になってようやく言える。
 言わなかったことに悔いるぐらいなら、矜持を手放せば良かったのか。
 それとも、最後まで胸を張っていれば良いのか。
 どちらもできない曹丕は、口をつぐんだ。


 二度と手に入らない朝。
 目覚めない夜の中で、想う。
 愛していた、と。

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