「仲達よ。
人は信じるに値するものだと思うか?」
蒼穹を見据えたまま、曹魏の皇帝は言った。
否と答えれば、己の心を晒すようなもの。
肯と答えれば、己の心を偽るようなもの。
司馬懿は、沈黙を答えとした。
「昔の私も信じていなかった」
曹丕の口調は苦笑が混じっていた。
「信じるものか、と片意地になっていたのかも知れぬ」
遠い過去をなぞるように、青年は言った。
信じたいのに、信じられずにいる子どもが重なってみえた。
泣きたいのに、素直に泣くことができずに、空を睨みつけている。
そんな子どもが立っていた。
哀れだとは思わなかった。
不器用だとは思わなかった。
目の前の青年がそうであった、ということに意外性がなかった。
「今も人を信じるのは苦手だ」
「そうですか」
司馬懿は相槌を打つ。
「そうだ」
曹丕は振り返って……笑った。
玉座を埋めるときに見せる皮肉げな笑みとは違う。
戦場を駆けていくときに見せる冷笑とは違う。
不器用な子どもが、心を許した人物だけに見せるような、愛嬌のある笑顔だった。
司馬懿は目を見張る。
青年は歩き出し
「甄!」
声を張り上げる。
空で染めたような青い外套が揺れながら、司馬懿を追い抜く。
黒羽扇を揺らして、家臣はためいきをつく。
振り返るのも馬鹿馬鹿しい。
そして、青年の問いかけもまた馬鹿馬鹿しいものだということに気がついた。
人間不信の子どもは、今はいない。
信じる者と幸せをつかもうと、努力する男が一人いるだけだ。
今日は仕事がはかどらないだろう、と確信しながら、司馬懿は空を仰いだ。