唐猫のように気ままなところのある公達は、いつものようにふらりと対にやってきた。
書き物をしていた少女は手を休め、男を見た。
金属の甲高い音がした。
「やあ。お邪魔だったかな?」
艶めいた低い声がささやく。
「邪魔だと言ったら、お帰りになりますの?」
藤姫は言った。
「どうやら、私は嫌われてしまったようだね」
微笑んだまま友雅は言う。
「神子様はご不在ですわ」
「知っているよ」
友雅は腰を降ろす。
どうやら本格的に居座るようだった。
藤姫は、仕方なく筆を硯に戻した。
「では、どんなご用がございますの?」
「気が向いてね。
陽気に誘われたというところかな?」
「それでしたら、恋人のところへ行かれたらどうでしょう?
つれない方と噂されてしまいますわよ」
藤姫は言った。
風流人は、恋のほうでも風流であった。
胡蝶のように、あちらの花に、こちらの花に、と落ち着きなく花の間をさまよう。
「その話をどちらで?」
「聞いてどうしますの?」
「あなたの耳にそのようなことを吹き込んだ人物に、釘を刺しに」
友雅は言う。
「有名すぎて、誰もが知っていますわ」
世間知らずの藤姫でも知っているのだから、この京に男の色好みを知らないものはいないのではないだろうか。
「そろそろ北の方をお迎えになったら、どうですの?」
藤姫は文台に広げていた紙にふれる。
「縛られるのは嫌いでね」
男らしい発言に、藤姫は眉をひそめる。
北の方を持たずに、ふらふらと浮名を流す生き方は、確かに風流であろう。
けれど、同時に無責任すぎるようにも思えた。
「ああ、安心してもいい」
友雅は扇を広げる。
軽くあおげば、良い香りが風に乗る。
「八葉の務めはきちんと果たすよ。
……魅力的だからね」
「神子様は、普通の女人とは違いますわよ」
藤姫はねめつける。
「そうかい?
私の目には、いたって普通の少女に見えるよ。
当たり前のように、怒って、泣いて、傷ついて」
友雅は言う。
「神子様は特別な方なのです」
「その調子では、神子殿はさぞや窮屈な思いをしているだろうね。
人は、そう変わらないものだよ。
悲しいことがあれば泣いて、嬉しいことがあれば笑う」
男は少女を見つめた。
まだ十を数えたばかりの稚い少女は、困った。
誰よりも尊く、誰よりも素晴らしい神子様。
特別であることは間違いない。
でも、と藤姫の心がささやく。
友雅の言葉にも一理あるのだ。
天より遣わされた神子は、情が深く、怒り、泣き、笑う。
間近で仕える藤姫は、その豊かな感情表現を何度も目にしている。
それは、人の子と変わらない姿だった。
自分は姉のように慕わしい人に窮屈な思いをさせているのだろうか。
「龍神の神子も、星の一族も」
友雅は言葉を区切り、小さく笑った。
「八葉に選ばれて光栄だ。
退屈しない、魅力的な役目だ」
魅力的とは神子本人ではなく、役目だと男は言い直した。
「友雅殿。
八葉は大切なお役目ですわ。
『面白い』も『面白くもない』も、関係ありませんわよ」
藤姫は言った。
「私にとっては、重要だ」
楽しげに友雅は言う。
「友雅殿は、私をからかいに来たのですか?」
「まさか。
ただのご機嫌伺いだよ。
愛らしい姫君のお願いでね」
「?」
「神子殿は、お優しいね。
働きづめの貴方を心配していた。
ということで、これは預からせてもらうよ」
友雅は文台の書きつけをスッとさらう。
「あ」
「さあ、せっかくの天気だ。
もう少し端近で、変化する季節を楽しんではどうだい?」
友雅は器用に紙を巻くと、懐にしまいこんでしまう。
「返してくださいませ」
「神子殿が帰ってきたら、返すよ」
友雅は立ち上がり、藤姫に手を差し出した。
少女は首を横に振る。
「神子殿からのお願いだ。
星の一族の貴方が、それを無碍にするのかい?」
友雅の言葉に、藤姫はしぶしぶと立ち上がる。
もちろん、男の手を借りずに。
「本当に、神子様が友雅殿にお願いしたのですか?」
藤姫は友雅を見上げる。
「嘘ではないよ。
後で訊いてみるといい」
そこまで言われたら、信じないわけにはいかない。
「さあ」
友雅が御簾を上げる。
まるで唐猫のようだ、と藤姫は思った。