20:蛍

「ここは……どこだ」

 かすれた自分の声が耳に響く。
 ぼやけた風景に、見覚えがあった。
「夢を見ているのか……?」
 そう口にしたのも無理もない。
 目線の先には、見慣れた天上と明るすぎる光があった。
 オレンジがかった蛍光灯。
 物が美味しく見えるからと一つ年上の幼なじみが勧めたものだった。
 勉強部屋で、食べ物が美味しく見えても仕方がないと笑ったけれど、結局は彼女の意見を選んだ。
 少年はベッドから降りた。
 ……足の平に伝わる冷たい感触。
「これが夢なら、ずいぶんと丁寧だな」
 自嘲気味に呟いて、ベッド脇の目覚まし時計に目をやる。

 6時29分

 反射的に窓の外を確認する。
 カーテンの隙間から、弱々しい光が差し込んでいた。
 譲はいつものようにカーテンを引き、窓を開く。
 乾いた冷気が押されるように、部屋の中へ入る。
 青に染まりきらない空が冬の朝を余すことなく表現していた。
 少年は大きく息を吐き出した。
 それは、瞬く間もなく白く凍る。

 本当に、いつもどおりの朝だった。
「長い夢を見ていたのか」
 首筋に手をやり、自問する。
 宝玉のあった場所は、その痕跡がなかった。
 ここが現実で、あちらの世界であったことは、夢だったのだろうか。
 窮屈さを感じる世界を飛び出して、どこかへ行きたいという願望が見せた夢。
 兄と幼なじみの少女がいたのも、願望。
 どこかに行きたいのに、二人がいないと嫌だという本音。
 そんな自分は、きっと一人ではどこにも行けないのだろう。

 ピ ピピ ピピピ ピピピピ

 ステップアップトーンが響き、譲の思考はそこで止まった。
 手を伸ばし、目覚まし時計を止める。

 トントン
 義理のようなノック音のすぐ後に、ドアが開く。
 譲は、勉強机の上に置いてきぼりだった眼鏡を慌ててかける。
「お、もう起きてんのか。
 昨日は良く寝れたか?」
 制服姿の兄が顔を出す。
「兄さん」
 子ども扱いされたことにムッとする。
「ほれ、早く行くぞ。
 望美が文句たれる前にな」
 将臣は笑った。
「兄さんに言われなくても、わかっている」
「そうだったな。悪ぃ」
 将臣は、大げさにためいきをついて見せる。
 素早く目線を走らせる。
 耳に藍色の宝玉は見えなかった。
「先に下に降りてる」
 笑いながら、将臣はドアを閉めた。

「ちょっと夢に毒されたな」
 譲は一人ごちる。
 制服姿の兄が懐かしい、と思うなんて。
「ここが現実だ」
 少年は自分に言い聞かせるよう言った。


 制服に袖を通して、一階へ降りる。
 兄と幼なじみがダイニングにいて、譲を待っていた。




 そんな夢を見た。



 奥州の春は、遅い分、深い。
 一気に咲いた花たちに譲は目を向ける。
 源九郎義経一行に与えられた邸の一角、その縁側。
 そこにも春がやってきていた。

 パタパタ
 
 明るい足音に目をやると、一つ年上の少女がいた。
「譲くん、おはよう!」
「おはようございます、先輩」
「昨日は良く眠れた?」
 少女は少年の隣にペタンと座ると尋ねた。
 譲は軽く笑った。

「私、何かへんなこと言った?」
「いえ、夢の中で同じようなことを聞いたと思って。
 兄さんに訊かれたんですけどね」
「将臣くんは、譲くんのお兄さんだもんね。
 それで、どんな夢を見たの?」
「普通の夢でしたよ。
 ここに来る前の、日常みたいな夢です」
 譲は首筋に手をあてる。
 ほのかにあたたかい宝玉を感じた。
 自分が八葉である証。
 目の前の少女を守る使命が形になったもの。

「もしかすると、予知夢かも」
 望美は笑う。
「そうですね。
 すごく近い未来かもしれませんね」
 譲もうなずいた。
 五行が満ち、元の世界へ帰れる日が近づいていた。
 元の時空に戻してもらうので、あちらはクリスマス前だろう。
 ずいぶんと昔のような気がした。

「いつか、この日々も夢だと思う日が来るのかもしれません」
 あの夢の中のように。
 あまりにもここは現実味がない。
「夢じゃないよ」
 望美は言い切った。
「そうですね」
 譲は微笑んだ。


 ここがどこであってもいい。
 そう思ったことは、秘密にしておくことにした。


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