08:朝

 眠る直前、祈るように思うことがある。
 すべてがとても曖昧だから。
 鏡の中でサラサラこぼれていく月の雫を、手のひらで受け止めるみたいに。
 確かめられなくて、頼りなくて、不安になるから。
 目を閉じて、夢の世界に沈んでいく前に。
 願うことがある。


「神子殿?
 どうなされたんですか?」
 大好きな人の声に、ちょっと寂しくなる。
「花梨で、いいですよ」
 少女は笑った。
「いえ、あなたは龍神の神子ですから、軽々しく名を呼ぶことはできません」
 頑固な青年は言った。
 こうと決めたら、テコでも動かない。
 そんな人だと知ってるけど。
 やっぱり
「前は、呼んでくれましたよね」
 一線を引かれたような気がして、切なくなる。
 だから、わがままを言ってみる。
 どんな答えが返ってくるのか、わかってるのに。

「以前は、あなたが龍神の神子だという確信がなかったからです。
 今は違います」
 幸鷹は言う。
 自分が人間じゃなくなったみたいで、嫌だった。
 「龍神の神子」という別の生き物になってしまったような気がする。
「私は変わっていませんよ」
 花梨は幸鷹に背を向ける。
 空を仰ぐ振りをして、涙をこらえた。
 これ以上話していたら、小さい子みたいに泣いてしまいそうだった。
 でも、泣いたら迷惑をかけてしまうから、そんなことはできない。
「私が変わりました」
 幸鷹は言った。
「もう、名前では呼んでもらえないんですか?」
「…………。
 あなたが龍神の神子である限りは」

 彼はこういう人だ。
 こういう人だから、好きになったのに。
 とても、つらい。

「この世界って、ちゃんと出来ていますよね。
 夢みたいな世界ですけど。
 全然、現実っぽくないですけど、ちゃんと世界なんです。
 最初は信じられなくって、夢だと思ってました。
 起きたら、家のベッドにいるのかなって」
 花梨は泣くのをこらえて言った。
 見知らぬ世界に来て、ずいぶんと時が流れた。
「元の世界に、帰りたいのですか?
 きっと、帰れますよ」
 気遣いにあふれた言葉に、首を横に振る。
「眠る前に神さまにお願いすることがあるんです」
 花梨は淡く笑って、幸鷹を見た。

「明日が来ますようにって」

「神子殿……?」
「朝、目が覚めたら、この世界でありますようにって、祈るんです。
 これが夢なら、ずっと夢の中にいたい。
 そう、思うんです」
 涙が湧いてくる。
 今日は昨日の続きだったけど、明日はそうと限らない。
 龍神の神子としての、勤めを果たしたら、元の世界に戻る。
 不思議なほど、それは花梨の心の中で決まっていた。
 すでに決まっている未来。


 夜眠る前、恐怖と不安が忍び込んでくる。
 朝、目が覚めると、安堵する。
 それのくりかえし。
 
 朝が来るたび思うことがある。
 この世界にいつまでもいられますように。
 今日も、この世界で目が覚めて、良かった、と。
 神さまに感謝する。


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