「まるで、あなたは薔薇のようだ」
背の高い公達は、柱に背を預けながらつぶやいた。
物憂げな瞳は庭を見ている。
大きな独り言だろうと、少女は無視を決め込もうとした。
いちいち付き合っていたら、疲れてしまう。
「花に譬えられるのは、不快かな?」
艶のある深い声が笑う。
はっきりと自分に向けられた言葉であったから、藤姫はためいきをこぼした。
「いいえ。
美しい花ですから、嫌だとは思いませんわ」
少女は男の隣まで歩を進める。
女房に見られたら、眉をひそめられてしまうほどの端近。
以前の少女なら、どんなことがあっても近寄らないような場所だった。
「ただ、気遅れてしまいます」
藤姫は庭に咲く花に目をやる。
秋草を押しのけるように咲くのは、百花の女王。
夕焼けに染まったのか、夏に咲くよりも深みのある色の花弁。
「こんなに美しくありませんわ」
少女はそっと息を吐く。
「自分を卑下するものでもないよ」
友雅は言った。
「もっと華のある女性ほうが、似合いますわ」
少女は男を見た。
友雅はいつものように、余裕のある笑みを浮かべていた。
自分が子どもであるというのは、動かしがたい事実。
子ども扱いされるのが嫌だと告げるのは、あまりにも子どもじみたことに思えた。
だから、少女はかつてのように言わない。
「子ども扱いしないでください」とは。
「薔薇は、華やかなだけではないと、私は思うのだけれど……。
あなたにはわからないかな?」
友雅は扇を片手で開く。
焚きこめられていたのだろうか。
侍従の香りがすっと広がる。
この季節にふさわしい香は、どこか寂しい。
「友雅殿は、私と薔薇、どこが似ていると思うのですか?」
「そのとげとげしているところかな」
友雅は口を開けて笑った。
少年のような笑顔に、藤姫は驚き、次にその言葉に怒った。
「友雅殿!」
とげとげしている、と言われて喜ぶ人間はいない。
少女は顔を真っ赤にした。
「ほら、そんなところが、まるで薔薇のようだ」
「その言葉を借りると、薔薇はいつでも怒っているようですわね」
「可愛らしいじゃないか。
人を寄せつけないための棘ではなく、誰かのための棘のほうが」
「友雅殿の話が、私にはわかりませんわ!」
「絶望することはないよ、愛しい姫。
男と女とはそんなものだ。
わかりあえないからこそ、わかろうと努力をする。
美しいだろう。
それに、世の中には一つぐらい謎があったほうが楽しい。
そのたった一つの謎が愛するものの心だったら、魅惑的だね」
「誰が愛しい姫ですか!?」
「私の愛しい姫は、あなただよ。藤姫」
「からかわないでください!
少しでも、気にかけた私が愚かでしたわ。
友雅殿は、そういう方でしたわね」
藤姫はつんとそっぽを向く。
「おや、ご機嫌を損ねてしまったかな?」
「そうおっしゃっても、気にしてはいませんでしょう?」
藤姫は言葉にいやみをまぶす。
「また、次に機会があるからね。
私は嫌になるぐらい気長らしい。
自分でも意外な感じがするが、悪くはない」
「ずいぶんと図々しくはありませんか?」
「こんなところで諦めてしまったら、花は手に入らないよ。
誰もが羨む天上の花」
「友雅殿の言葉は信じませんわ」
「薔薇によく似ているよ」
友雅はくりかえし言った。
声の調子が抑えたものだったから、藤姫は思わず彼を見てしまう。
一瞬だけ交わった視線で、聡い少女は真実に近づいてしまう。
「私はそろそろお暇するしよう」
友雅は立ち上がり、視線を逸らしてしまった。
「今度はどちらの花を口説くのですか?」
「このまま、真っ直ぐ屋敷に戻るよ」
友雅は苦笑する。
「では、また今度。
棘姫」
「私は薔薇ではありませんわ」
「次までに気の利いた呼び方を考えておくとしよう」
友雅は流麗に会釈をすると、立ち去った。
「私は薔薇にはなれませんわ」
庭に咲いた薔薇を見て、藤姫はつぶやいた。