過ごしやすい季節。
あちらこちらで立ち話を興じる人々。
それは他愛のない噂話であったり、可愛らしい未来への約束だったりする。
目に映らない平和の形とは、このようなどこにでもある日々の風景なのだろう。
好ましい光景だと、周瑜も思っていた。
ほんの最近まで……。
戦と戦の間の小休止。
平和を満喫することはできるはずなく、呉の都督は忙しかった。
移動時間ももったいない。
のらりくらりと逃げ回る君主をどうにかとっ捕まえて、説教をたれる。
「君という奴は、今がどれほど大事な時間かわかっているのか?」
やや険を含んだ声に、孫策は首をすくめる。
「だけどよ、周瑜。
大喬の傍にいてやりてぇんだよ。
戦ばっかりやってるだろ?」
孫策は、らしくないためいきをつく。
「もう少し辛抱してくれないか?」
周瑜は言った。
妻の傍にいてやりたいと思うのは、周瑜も一緒のこと。
こうして手間を取らされた分、共に過ごす時間は減っていくのだ。
この期に幼なじみの逃亡癖を治しておかねばなるまい。
「珍しい組み合わせだな」
孫策は、回廊で話し込む顔ぶれを見て、首をひねる。
つられるように周瑜も見て、眉間のしわが深くなった。
淡い色の髪の少女が楽しげに話しかけているのは、姉ではなかった。
一生懸命に、手振り身振りをつけて話す少女に相槌を打つのは、やや奇妙な面々。
その一人が気がつき、柔和な笑みを浮かべ会釈する。
刺青が肢体を踊る青年は、軽く手を上げ、逆方向にきびすを返す。
最後の一人は、意味ありげな笑みのまま肩をすくめて見せた。
陸遜、甘寧、凌統。
やがて孫呉を支えるだろう、若き将星たちだった。
「あ、周瑜さまだぁ!」
少女は嬉しげに笑むと周瑜に駆け寄ってくる。
その隙に、若者たちはさりげなく場を去っていく。
それを視線で追いながら、周瑜は妻を迎える。
「何の話してたんだ?」
実の妹に話しかけるように、気安く孫策が訊く。
「ナイショ!」
クスクスと笑いながら、小喬は答える。
「私にも、かい?」
「周瑜さまには、もっとナイショだよ!
これから、まだお仕事?」
周瑜が小脇に抱えていた竹簡を見て、少女は小首をかしげる。
「ああ」
青年は困ったように微笑んだ。
「お仕事、頑張ってね」
落胆するかと思っていた少女はにこやかに言うと、周瑜に背を向けて走り出した。
意外な事の成り行きに、周瑜は考え込むように目線を床に落とす。
かまってやらなければ、盛大にわがままを言った妻の聞きわけが良くなったのは、いつからだろう。
周瑜の忙しさに慣れたのかもしれないし、妻の自覚ができたのかもしれない。
そんな風に切り替えが簡単にできるものなのだろうか。
少女の姉である大喬は、口にこそ出さないが、夫の多忙を快く思っていない。
孫策を呼び戻すときに絡む視線が、一瞬不快を表す。
双子のようによく似たところのある姉妹だから、小喬も同じような想いを抱えていると思っていたのだが……。
思い込みに過ぎなかったのだろうか。
「周瑜、急ぎの用はいいのか?」
「すまない。
少し考え事をしていた」
「とか言って、小喬のことを考えていたんだろう」
孫策はニヤリと笑う。
周瑜が返答に困っていると、肯定を取った孫策は続ける。
「間男って感じじゃねーが、何か不思議な組み合わせだよなぁ。
ケンカもせず和気藹々とするような面子でもねぇよな」
「最近、一緒にいるのをよく見かける」
簡潔に周瑜は答える。
「ふーん、やっぱ気にしてたんだな。
仕事なんかしていていいのか?」
「君が全部やってくれると言うのなら、ありがたく好意を受け取っておこう」
周瑜の言葉に、孫策はためいきで返した。
それからも、奇妙な組み合わせを何度も目撃した。
周瑜を見つけると、あちらが気を使っているのか、特に何も言わずに若者たちは立ち去る。
小喬は話の邪魔をされたというのに、上機嫌で周瑜に話しかけてくる。
それが腑に落ちなかった。
「陸遜。
最近、小喬と話し込んでいるようだが」
妻が迷惑をかけてすまない、というような雰囲気で周瑜は陸遜に言った。
三人の中で陸遜を選んだのは、まともな話を期待してのことだった。
川賊上がりの男には、婉曲な話が通じない。
どこか人をくったところのある若者には、逆に話をはぐらかされるだろう。
「ええ、そうですね」
でも、話していて楽しい方ですから。
迷惑だと感じたことはありませんよ」
陸遜は穏やかに微笑む。
「妻が秘密主義でね。
私は少し困っている」
やや大げさに周瑜が言うと、意図を理解した陸遜は首を横に振る。
「残念ですが……。
たとえ、都督でもお話できません。
秘密にして欲しいと、何度も念押しされているんです」
「そうか、時間を取らせてすまなかったな」
心底すまなそうに、周瑜は言った。
「いえ。
……その……きっと、都督にとって、それほど悪い話ではありませんよ」
付け足すように陸遜は言うと、拱手した。
結局、小喬の秘密主義は冬近くまで続いた。
防衛のため以外に、兵を動かすことのない季節になり、少女の笑顔はことさら輝いた。
ずっとやきもきしていた周瑜にとって、恵みの季節となった。
屋敷の私室の中、とうとう周瑜は尋ねた。
「降参だ、小喬。
何を話していたのか、そろそろ教えてくれないか?」
「えへへ。
周瑜さまのこと、ずっと訊いてたの」
傍らに座る少女は、ナイショ話をするようにささやく。
「私のことを?」
「うん。
普段、どんなお仕事してるのか、とか。
戦場では、どんな風なのか、とか。
機密? 以外のことを教えてもらったんだ」
小喬は言った。
だから、あの組み合わせか。
周瑜は半ば理解した。
「アタシと一緒にいないときの周瑜さまは、訊かなきゃわからないでしょ。
お仕事で一緒にいられないから、他の人に周瑜さまのことを訊いていたの。
そうやって、周瑜さまのカケラを集めると、アタシの知らないところがわかるようになるでしょ。
だからね、いっぱい話を聞いていたんだよ」
ニコニコと小喬は告げる。
「……すまない」
「謝っちゃダメだよ!
お仕事してる周瑜さま、カッコいいんだから。
それにお仕事はいつか終わりが来るけど、一緒の時間に終わりは来ないでしょ。
ちゃんと、アタシ待てるよ」
「ありがとう、小喬」
「うん、そっちの方がいいよ」
無邪気に小喬は笑った。
以来、奇妙な組み合わせを目撃することになっても、周瑜の機嫌が悪くなることはなかった……と言えないのが複雑なところだった。
理由を知ってからの周瑜の人当たりは、二割ほどマシになっただけと、もっぱらの噂だった。
つまり、人間には割り切れないものがある、という見本だった。