窓の外に光が揺れていた。
尚香は気になって寝台から降りた。
冷気が肌を撫でる。
幾何学模様の格子のはまった窓の向こうには見知った顔があった。
ランタン片手に少年は佇んでいた。
「陸遜。新年会はいいの?」
声を潜めて尚香は尋ねた。
「抜け出してきました」
しれっとした顔で少年は言った。
「バレたら怒られるわよ」
「一人ぐらいいなくもて気づかれませんよ。
それに殿の相手ができるのは周泰殿ぐらいですよ」
陸遜はもっともらしいことを言う。
「それで何の用?」
「宴に出られなくて不満ではありませんか?
散策のお誘いにきたのです」
酔いが回っているのだろうか。
悪だくみを考えるのは少女の方が得意だった。
少年は、なだめ役だった。
「気が利くわね。
すぐに支度するわ」
尚香が言うと陸遜はうなずいた。
肌ざわりの良い寝着から、あたたかい衣へと着替える。
女官たちに外出したのが悟られないように、寝台に膨らみをもたせる。
枕や毛布を丸めて、遠目では分からないようにする。
人の気配を避けて外へ出る。
年が改まったことを知らせるように、皮膚を切るように寒い。
吐いた息が白かった。
「おまたせ」
尚香は声をかけた。
「誘ったのはこちらですから。
それに姫を待つのは退屈ではありませんよ」
陸遜は柔らかく微笑んだ。
「それで目的地は決まってるの?」
尚香は尋ねる。
二人は自然に歩き出した。
「いえ。
行きたい場所があるのならお付き合いしますよ」
陸遜は言った。
少女にって、少年は理想の遊び相手だった。
歳を重ねても、それは変わらないようだ。
「そうね。
せっかくの新月ですもの。
星が見たいわ」
「では、このまま歩きながら星を見ましょう。
さすがに庭では見つかってしまうでしょう」
「新年会は面白くなかった?」
尚香は気になっていることを訊く。
一度も出席を許されたことがないから、知りたいと思っていた。
今年から参加を許された少年が羨ましくあった。
「あまりお酒に強い方ではないですからね。
皆さん、浴びるように呑まれるので、正直に言うと付いていけませんね。
お酒の匂いがしますか?」
少年は不安げに尋ねた。
「ちょっとするわね。
兄様ったら一度も宴に出席させてくれないんですもの。
どんな様子だか気になるわ」
「新年を口実に、お酒を呑むだけの席ですよ。
姫だけが出られないわけではありません。
女性陣は皆、呼ばれません」
「どうしてかしら?」
尚香は首を傾げる。
「酒に酔って馴れ馴れしくふれる輩がいるからでしょうね」
「そんな相手、倒せるぐらい強いつもりよ」
「姫に敵う相手は礼儀正しいですが、何があるか分かりません。
それに着飾った姫が他の男性に見られるのは嫌ですからね」
陸遜はハキハキと言った。
「今の言葉は兄様の意見?
それとも陸遜の気持ち?」
尚香は問う。
「両方ということにしておきましょう」
遊び友達は調子のよいことを言う。
「ずるいわね。
逃げるなんて」
「こう見えても孫呉の軍師の一人ですから」
物分かりの良さそうな笑顔で言う。
「いつか陸遜の本気の言葉を聞きたいわね」
「姫。私はいつでも正直ですよ。
あなたの遊び相手になってから」
「どうかしら?
いつも誤魔化さられているような気がするわ」
尚香は真っ直ぐ陸遜を見つめる。
「自業自得と言ったところでしょうか。
嘘はついていないのですが」
年を越す前に拾ったはしばみのような瞳が揺れる。
ランタンのように。
「そういうことにしておきましょうか」
尚香は長く息を吐きだした。
思ったよりも深い息が闇夜でも白く見えた。
「星が綺麗ですよ。
これを見に来たのでしょう?」
陸遜が顔を上げさせる。
月のない夜空は、きらきらと音がするように綺麗な星が輝いていた。
明日のことなど分からない動乱の時代だから、貴重な瞬間だった。
戦が始まれば、こうして空を見上げることなどできないだろう。
遊び友だちは生命のやりとりをする場所へと送り出される。
少女を置いて行ってしまう。
そして、いつかの日か星になってしまうのだろう。
遠い場所でついえる。
尚香の見ていない軍場で。
想い出の一つになればいい。
そう思って泣くのをこらえて星を見上げた。