離群

「えー、この指令って全員、バラバラにやんなきゃいけないの?」
 妖精の少女は、不満そうに口を尖らせる。
「そのようだな」
 指令を受けた冬闇の美女はうなずいた。
 艶めいた黒髪には、白い羽も大きな耳もない。
 人族らしく、何一つない。
「珍しいね」
 エルフ族の少年はためいきをついた。
 失墜の砦の衛兵から受けたのは、故郷からの言伝だった。
 英雄と呼ぶには、まだ物足りない名声と経験だが、それでも一角の人物になっただろう人物たちに、頼みたいことがあるというのだ。
 それぞれの故郷からの依頼だ。
 人族なら、始まりの村であるおぼろ村。
 妖族なら、目覚めた場所である北野営地。
 エルフ族なら、麗しくも穏やかな夜露の村。
「面倒だなぁ」
 少女は小さく呪を唱えていた。
 小さな身体に光でできた薄紅の花びらがはらはらと舞う。
「彩香、走っていくなよな。
 万獣まで何日、かかると思ってるんだ」
 統風は言った。
「えー、一日もかからないよぉ。
 ここから、そんなに遠くないし」
 少女はカバンから世界地図を取り出す。
 失墜の砦と万獣の砦を示す点は、それほど離れていない。
 が、それは世界地図上の話で、歩けばかなりの距離だ。
 花びらを撒き散らしながら、全力疾走すれば、空を舞うエルフ族を抜くこともできる妖精だが……、休みなしに走り続けるのは勧められたものではない。
「一回、剣仙城によって、そこからテレポートだろう。
 僕も跳ぶし、ね」
 テレポートを駆使すれば、もっと短時間で移動できるが、財布の紐が硬い女性陣を説得するのは難しい。
「みんなと一緒?」
 ベリルのような瞳を輝かせて、彩香が尋ねる。
「ああ」
 凍夜はうなずいた。
「じゃあ、とりあえず」
 地図で飛行方向を確かめると、統風は地面を蹴る。
 が、コートの裾をつかまれた。
 少年はバランスを崩しかかりながらも、振り返った。
 日に焼けない白く細い腕が、ごく自然に統風の首をつかまえる。
「凍夜さん、飛行剣は?」
 美女の膝裏に腕を回して、抱き上げる。
 凍夜は鎧姿で剣を握る戦士ではあるが、やはり軽い。
 初めて、空から見る景色を教えたときと同じ……同じはずはないのに、同じだと感じるほど軽い。
 少年は地面を蹴り、高く飛び上がる。
 バサッという音ともに、蝙蝠に似た羽が背に広がる。
 そのまま上昇する。
 この辺りの空は青い。
 綺麗だなぁ、と思った。
「統風の羽のほうがまだ速い」
 腕の中の美女はささやいた。
「せっかく買ったのに、もったいない」
 楽しめば良いのに、とエルフの少年は笑う。
 空を自由に飛べる楽しみは何物にも変え難い。
 生まれたときから翼を持っていた統風は、より強く思う。
「凍夜ちゃん、新しい飛行剣、カッコ良かったのにぃー」
 澄んだ高い声が楽しげに言う。
 彩香もまた、空にいた。
 純白の羽毛を持つ優美な渡り鳥の背に立っている。
 エイよりも、アマテラスと呼ばれる白鳥のほうが少女の好みに合っていたらしく、手に入れてからは使役と同じぐらいか、それ以上の可愛がりようだ。
 統風に「抱き上げて、連れて行け」と、言うことは一度もない。
「狐には乗れないからな」
 統風は軽口を叩く。
「狐っていうーな!」
 彩香のスカートからはみ出している尻尾がみるみる膨らんでいく。
 妖精の少女が本気で怒ると手がつけられない。
 蜂型の使役をけしかけられたら、逃げ切ることは難しい。
 統風は剣仙城に向かって翼をはためかせた。


 剣仙城のテレポート師の前で、三人は顔を見合わせる。
 最後になるわけじゃないと思っている。
 でも、という不安が、そうさせたのかも知れない。
 三人は支援魔法を互いにかけた。
 身体を鋼のように硬くする戦士の魔法。
 近寄る敵を棘のように突き刺す妖精の魔法。
 五元と物理の壁と神の祝福、精霊師の魔法。
 別れの言葉の代わりに、かける。
「凍夜さん、気をつけて。
 混合の攻撃をしてくる怨霊が増えてきたから」
 統風は言った。
 精霊師の自分がいれば、傷を癒すことができる。
 けれども、離れてしまえば、それも叶わない。
「ん」
 凍夜の返事は、いつも通り簡潔だった。
「彩香、本体を標的にするなよ。
 毒を重ねられても、助けてやれないんだから」
 妖精の少女は己の力を過信するのか、それとも『死』に無頓着なのか。
 毒を重ねがけされて、生命力をガリガリと削られても、平然としていることが多い。
 妖獣や戦士に比べれば、妖精は魔法に耐性があるが、無理は禁物だ。
「大丈夫だよ♪」
 彩香は明るく笑った。
「僕の能力だと3時間しか持たないから」
 姉の支援魔法だったら、その倍の時間、効果が続く。
 悔しいと思いながら、それでも少年は仲間に注意を与える。
 離れたら、助けられない。
 傷ついても、癒すことができない。
 傍にいても十全とはいえないのに……。
「気をつけて」
 統風は一歩、踏み出した。
 二人の言葉を待たずに、少年は魔方陣に向かう。

 本当ニ辛イノハ誰?

 一瞬の浮遊感。
 トンっと靴音が鳴り、目を開ければ青と緑の世界。
 荒涼とした赤い土の砦でもなく、堅牢で華やかな色硝子に飾られた城でもなく、天まで届く大きな樹の下に造られた都。
 エルフ族の集う土地『樹下の都』。
 そこから、夜露の村までは目と鼻の先。
 祖龍の城の城南から城北までの距離と、どちらがあるのだろうか。
 そう思うほど近い。
 なだらかな傾斜のある緑の地面。
 よく整備された道のところどころには、花を模したランプがある。
 敵意の少ない小さな怨霊たちが小さな鳴き声を上げている。
 村を出たばかりの頃は、この怨霊を狩るのですら、度胸試しだった。
 懐かしがっているうちに、村の案内人の元にたどりついた。
 依頼内容はいたって簡単。
 村の空中を占拠するソークスという名の飛蛇型の怨霊を退治して欲しい、ということだった。
 統風は空を見上げる。
 地上を這う怨霊に比べると大型の怨霊が、爪を研ぎながら空を浮遊していた。
「わかりました」
 統風は快く引き受けた。
 少年は空を舞い上がる。
 枯れない木々の梢を抜け、開けた場所で静止する。
 精霊師は回復と支援魔法に特化していると、他の職業は思っているが、それは一面だけしか見ていない答えだ。
 少年は姉とは違う。
 敵に狙いを定めると、風を呼ぶ。
 小さなつむじ風にも似た弱風が怨霊に到達する頃には、千切りきるほどの竜巻となる。
 詠唱が終わると同時に、次の詠唱に入る。
 霊力を羽という形で具現化した矢。
 空中に湧く怨霊が総じてそうであるように、飛蛇型の装甲は脆い。
 物理攻撃扱いされる風の矢は、怨霊を鋭く射抜く。
 ソークスも木属性の魔法を詠唱をしてくるが、すべて累積型のダメージ。
 重ねられれば体の芯から、ドロドロと腐敗していき、やがて腐り落ちていくだろうが、精霊師にはすべての障害を消し去る魔法が授けられている。
 少年は途切れることなく魔法を詠唱していく。
 回復魔法を唱える間も惜しく、統風は赤い液体で満たされたガラス瓶を叩き割る。
 同時に青い液体の入ったガラス瓶も開ける。

 精霊師は戦えないわけではない。

 それを再確認する。
 少年は魔法を詠唱し続ける。
 考えずに、考えたくないように。


 夜露の村に上空にいた怨霊は、統風ひとりの力で殲滅した。
 青空は雲だけが漂っている。
 少年が旅立ったその日、見上げたような空が広がっていた。
「凍夜さんと彩香、大丈夫かな」
 精霊師らしい言葉を呟く。
 眩しすぎる太陽の光に、目を細める。
 遠い。
 二人がいるところが遠すぎる。
 見えない場所で、二人は戦っている。
 冬闇の美女の剣技であれば、ソークスのように脆い怨霊は一閃で塵に返すだろう。
 朗らかな少女の使役する獣の中には、凶暴な蜂がいる。
 主にどこまでも忠実で、鋭い針を持つ蜂の前では、飛蛇は紙のようなものだろう。
 心配するような相手ではない。
 わかっていた。
 だから
「……大丈夫か」
 統風は地面に降りる。
 大地を踏みしめて走る。
 軍籍に入ってから、覚えたことだった。
 エルフ族に囲まれていたころには、思っても見なかったことだ。
 走って、依頼が完了したことを伝える。
 そして『樹下の都』のテレポート師の元へ向かう。
 落ち合う場所は『剣仙城』と決めていた。
 剣仙城で、また仲間と再会することができるだろう。
 戦士である美女は、かすかな笑みを浮かべて。
 妖精の少女は、自分の手柄を誇って。
 統風を迎えてくれるだろう。

 心が翼を得たように、急く。
 早く、少しでも早く。
 会いたい。
 会って……あまりにも違いすぎることを忘れてしまいたい。
 同じ三種族連合の軍に所属している、と。
 思いこみたい。
 そう…………思った。

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