「永雪殿!」
この日も人族の少女は声を荒げた。
法剣の切っ先がふるふると震えているのは、激しい感情のせいだろう。
「貴殿は……!! 精霊師であろう!!」
魔導師白識は怒鳴った。
少女の褐色の肌に淡く、それでいて力にあふれている光が降り注ぐ。
放っておいてもふさがるような掠り傷が……きれいにふさがっていく。
優しい癒し手は微笑む。
「白識、大丈夫?」
蕩けるような柔らかい笑顔だった。
「この程度――」
白識と永雪の間をスッと矢が通り過ぎる。
トッと軽い音を立てて、それは突き刺さる。
視界の端で黒く長い髪が揺れる。
「蒼月殿!」
「蒼月さん!」
矢を負った男は気にもせず、無表情のまま弓を構える。
黄金の光に包まれたそれから射られた矢は神速。
少女と青年の間。
正確に通り抜けた!
神の加護を受けて怨霊を屠る。
一撃で怨霊は塵と化す。
破壊としか言いようのない力に、少女は息を呑む。
「蒼月さん、大丈夫ですか!?」
永雪が走り出す。
「大事はない」
蒼月は答える。
白識は振り返った。
青年と男……いや、エルフ族の二人を見る。
神の子。
事実が、魔導師の脳裏に浮かび上がる。
そう紛れもない事実が。
二人は十二分に強い。
独りでも戦えるほど強い。
「それよりも、ここに立ち止まっていると危険だ」
弓使いの男は言った。
怨霊が放った矢による傷は、ふさがりつつある。
白識であれば多くの血を失っただろう。
そして、一撃で怨霊を屠ることなどできなかっただろう。
「そうだね。
行こう、白識」
永雪はにこやかに少女に笑いかける。
「ああ」
何故、こうも違うのだろう。
不満にも似た感情を飲みこんで、白識はうなずいた。
◇◆◇◆◇
この日。
三人は夏風将軍の命を受け、二重山の奥へ向かっていた。
一歩ごとに怨霊たちは活気に満ち、好戦的になっていった。
おそらく剣仙城にたどりつくであろう街道にまで、怨霊たちははびこっている。
麗らかな日差しと穏やかで美しい斜面とは対照的であった。
怨霊たちの気配をうかがいながら、蒼月は一歩先を歩く。
永雪は場を和ませようとでも思っているのか、あれこれと話し続けている。
祖龍の城で話題の店の話であったり、共通の知人の近況であったり。
それらを聞き流しながら、白識は黙々と歩いていた。
弓使いの蒼月に遅れずについていくのは難しい。
が、弱音を見せるわけにはいかない。
白識は、だから足を進めることだけを考えていた。
ふいに蒼月が立ち止まる。
高い針葉樹林の間、緑の体色を持った怨霊が獰猛さを隠さずに歩き回っていた。
怨霊の口からは犬に似た呻き声がこぼれていた。
「あれだな」
蒼月は言った。
「氷の飛礫を扱う、と夏風将軍が」
白識はうなずく。
名は、ハウルファング。
魔法を扱う怨霊の多くは、その魔法の属性と同じ。
ハウルファングもまた、水属性の怨霊であろう。
土剋水。
水は土によって堰きとめられる。
ハウルファングは、土属性の魔法を弱点としているはずだ。
そして、このパーティで土属性の魔法を扱うことができるのは、魔導師の白識だけだった。
「なるほど」
男は少女に手を差し伸べた。
大きく広い手は、月のように冴え冴えとした白い色だ。
「迷惑をかけます」
白識はその手を借りる。
奇妙な浮遊感。
抱きかかえられた次の瞬間には、白識は空中にいる。
ぐんぐんと地面から離れていく。
照れや恥じらいを感じるよりも、不安を覚える。
大地は遠く、何もない宙。
飛行剣の心得のない白識のために、エルフ族の二人はこうして助けてくれるが、抱え上げられるほうは平穏とはかけ離れている。
己の思うままにならないもどかしさ。
自分の命を他人に委ねるにも等しい行為。
白識にはなかなか慣れない事柄だった。
蒼月の背に生じた白い翼が、空を切る。
梢を縫って、音もなくハウルファングの背後に回る。
野営の名残か。それとも怨霊の根城なのだろうか。
古びた天幕の屋根に白識は降ろされた。
隣で蒼月は矢玉の用意を始める。
「へー、ここなら安全だね」
少し遅れて、精霊師の永雪が降り立つ。
青年は淀みなく魔法を詠唱する。
いかなる攻撃からも身を守る、神の与えたもうた五元の壁と物理の壁。
太陽の光よりも細かく、月の光よりも煌きながら、白識を包む。
「用意は良いですか?」
白識は集中して、周囲に水の盾を出す。
氷の盾は真気の集めるのに役に立つだけではなく、水属性の魔法攻撃への抵抗力を跳ね上げる。
「では」
少女は土属性の魔法を詠唱する。
ハウルファングはこちらに気がつく。
怨霊の周囲に氷の飛礫が舞い踊る。
それよりも早く、白識は魔法の詠唱を完了させる。
相克により、ハウルファングに大きなダメージを与えたのが見て取れた。
ヒュンッと風を切り、矢が怨霊に突き刺さる。
それとほぼ同時に、氷の飛礫が白識に当たる。
精霊師の支援魔法とあいまって、水属性の魔法は思ったよりも痛みがない。
白識は次の魔法の詠唱を開始しようとして、目を疑った。
竜巻が起こり、ハウルファングを切り裂く。
そして、怨霊の注意が一瞬、そちらにそれる。
少女は詠唱の短い魔法に切り替える。
無理やりにでも怨霊の視線をこちらに向けなければならない。
何故なら、白識は魔導師なのだ。
ハウルファングが狙っているのは間違いなく精霊師の永雪。
パーティの中で、最も守らなければならない存在。
か弱いからではない。
精霊師の魔法は、魔導師のそれと比べても遜色のないものだ。
金属性だけとなるが、詠唱が短い攻撃魔法の数々は強力なものだ。
いや、詠唱が短いからこそ、魔導師よりも安定して、確実に怨霊を屠る刃となる。
瞬間的な攻撃力こそ白識のほうが優れているが、怨霊というものは最も攻撃を蓄積させる人物をより強烈に憎むのだ。
精霊師を守るのは、魔導師として当然のこと。
瞬時に他者に癒しを与えることができるのは精霊師のみ。
蘇りを望む肉体を蘇生できるのも精霊師のみ。
最後に生き残るのが魔導師では意味がないのだ。
立て続けに白識は魔法を詠唱する。
失われていく真気と削られていく生命力を補うために、回復瓶を取り出すと、宙で叩き割る。
瓶に入っていたそれらはキラッと光ると、淡い輝きを宿しながら褐色の肌に降り注ぐ。
魔導師の役割だと思い、少女は怨霊の憎しみを一身に受ける。
ハウルファングの濁った目が白識だけを見つめる。
次の瞬間には、氷の飛礫が飛来する。
白識は怖いとは思わなかった。
ハウルファングが永雪を見た、その瞬間。
それよりも怖いとは思わなかった――。
何度目かの魔法詠唱の後。
ハウルファングはドサッという音とともに地に伏した。
その姿は瞬く間に塵となる。
どこからともなくやってきた風にさわられ、何もなくなる。
「永雪殿!」
白識は怒鳴った。
魔法詠唱のため言えなかった分だけの怒りをこめて。
「貴殿は……!! 精霊師であろう!!」