満身創痍の妖精がいた。
ご自慢のアクセサリーも欠けたり、砕けたりと。
むごたらしい有様だった。
ほんのりと紫みを帯びた陶器のような肌も、血と泥で汚れている。
狐型の耳の先は、頭に添うようにぺたりと張りついている。
生きている。
『どうにか』、あるいは『やっと』生きている妖精の少女は、統風に気がついた。
祖龍の城の西側。
たくさんの英雄や勇士が行きかう中、彩香はぽつんと存在していた。
それがひどく場違いで、頼りげなくて、統風は目が離せなくなった。
「彩香! どうしたんだ?」
精霊師の少年は走りよった。
すっと黒く短い髪が視界を過ぎる。
冬空を見上げるよりもなお昏い髪が、間近に見えて、遠く去っていく。
傷ついた少女の傍に、女戦士は駆けつけた。
「彩香」
平坦でも。それでも、気遣いにあふれた声が妖精の名を呼ぶ。
凍夜に数歩遅れて、統風もたどりつく。
“溜まり場”と誰かが笑い、「そうだね」とうなずいたその場所に、妖精の少女は座りこんでいた。
ぼろぼろの状態で、たった独りで。
「《癒しを》」
統風は最速の回復魔法を詠唱する。
青みを帯びた白い光が、彩香の身を包み、その傷を癒していく。
15秒間。
短くはない時間だったが、その間、誰も口を開かなかった。
血は止まり、抉られた肉は元に戻る。
しみも痣もない陶器のようにすべらかな肌に戻る。
傷は消えた――。
彩香の瞳の中にある傷以外は。
ベリルようなキラキラとした大きな双眸は、凍夜を見上げていた。
統風ではなく、凍夜を見ていた。
「りーちゃん。
……死んじゃった」
搾り出すような声と共に、少女の頬に涙が流れ落ちた。
妖精の少女が統風を選ばずに、凍夜を選んだ理由はわかった。
エルフ族であり、精霊師である統風には“慰め”の言葉がかけられない。
長い戦争がもたらした蔑視を抜いたとしても、少年は精霊師だ。
使役をしていた眷族を殺した。
という事実を慰めることができない。
死んだら、生きかえせばいいのだ。
戦うことをやめない魂であれば、呼び戻すことができるのだろう。
精霊師ならば、そう思ってしまう。
……考えて、言葉にしてしまう。
使役用の眷族は、いくらでもいる。
これを機会に、新しい眷族を捕まえてくるのも良いだろう。
妖精にとってペットは、大切な友だちで、長い旅を続ける仲間であるかもしれないが……。
エルフ族の少年の目には、怨霊に染まっていないだけの、ただの奇怪な生き物にしか見えない。
「そうか」
凍夜は石畳に膝をつき、彩香と視線を合わせる。
「見殺しにしたの」
たまらないほどの罪悪だと、か細い声が訴える。
「そうか」
「凍夜ちゃん。
りーちゃん怒ってるよね。
わたしのこと、許してくれないよね」
大きな目からポロポロと涙が、零れていく。
妖精にも涙というものがあるのか。
怒りでも、不満でもなく、悲しいという感情があるのか。
とても不思議に思えた。
統風は立ち去りがたく、その光景を眺めていた。
「彩香が無事で良かった。
……」
凍夜が統風を見上げる。
冬闇の美女が言葉を詰まった理由がわかった少年は、小さく苦笑する。
「リアトロウルフ」
彩香の使役している眷属の種族名を教える。
「そのリアトロウルフも、それを心配していることだろう」
「どうして?」
小さな子どものように彩香は問う。
「私は前衛だ。
だから、気持ちが少しだけわかる。
前衛の役目は、後衛を守ることだ。
リアトロウルフが彩香を守ったように。
私が彩香や統風を守ることができたら、嬉しい」
平坦な声が淡々と語る。
音を一つも取りこぼさないように気をつけているのか、狐耳はぴんと立っている。
「死んじゃっても?」
その言葉は、とても簡単だった。
妖精の少女は、何も考えずに問うただけ。
いつものように、知りたかったから尋ねただけ。
けれども、事の成り行きを見守っていた少年には、気が滅入るような質問だった。
統風は凍夜を見た。
答えは予想できた。
それでも、緑の瞳は前衛を務める美女から視線を外せなかった。
「ああ、死んでもだ。
守りきったのだったら、それで満足だ」
凍夜は断言した。
迷いもなく。ためらいもなく。
それが統風にとって、悲しかった。
誰にも気がつかれないように、少年はためいきをついた。
「うん」
彩香は小さくうなずいた。
「じゃあ。
りーちゃん、生き返らせるね!」
彩香はすっと立ち上がる。
少女の面は浮かぶのは、笑顔。
いつもの、何も考えていなさそうな明るい笑顔だった。
「街で召還はするなよ」
統風は言った。
「うっ。
生き返らせるだけだもん!」
妖精の少女は、目を伏せる。
細く高い声が長い詠唱を唱えきる。
一文字も間違えないように。
途切れないように。
それは精霊師が生みだす『奇跡』に良く似ている。
この上なく、真剣な詠唱だった。
拡散していた光が、宙に集約して、少女の体に宿る。
青白く、とても美しい色をした光だった。
統風の目に映ったのは、おそらくリアトロウルフの魂だろう。
死してもなお、主を守ろうと。
魂はすぐ傍に寄り添っていたのだろう。
「ごめんね。りーちゃん」
彩香は小さくささやいた。
信頼を寄せている相手に言うのではなく。
志を同じくする相手に言うのではなく。
旅を続ける相手に言うのではなく。
それよりも、もっと深く、あたたかい言葉だった。
まるで家族や友だちに対して、言うような。
そんな言葉だった。
「そういえば、凍夜ちゃんと統風。
どうして一緒にいるの?
これから、どっかに行くの?」
彩香が尋ねる。
「今日は特には……?」
統風は凍夜を見つめる。
「そうだな。
依頼を受けていない」
冬闇を連想させる美女がうなずいた。
「じゃあさ。
今日は一日、のんびりしよー♪」
彩香は提案した。
少年と美女は、これといって案があったわけではなかったので、うなずいた。
ぼろぼろに傷ついた妖精は、もうどこにもいなかった――。