祖龍の城でとんでもないものを、統風は見た。
「姉さん!」
飛び行くエルフ女性を呼び止めた。
「あら、統風」
水晶づくりの翅が煌く。
月明かりの下、それはまるで夢への誘いのように。
キラキラと青白い粒子を撒き散らしているのだ。
「それ、どうしたの!」
蝶の翅のような飛行具は、エルフ族の女性に人気があり、それ自体は珍しくない。
時にファッションとして。時に移動手段として。
愛されている飛行具だ。
が、しかし。
スワローテイルと呼ばれる飛行具を『姉』が使っている。
となると、話は別だ。
「えーと」
跡風は翅を畳み、地に足をつけた。
白と赤を基調とした鮮やかな長衣。
修練を積んだ証の法衣の裾が、慎ましやかに広がり、つま先を隠した。
「買ったの」
困ったように、姉は微笑んだ。
そこには「自慢げ」といった当然あるべきものはなかった。
「どうして?
姉さん、スワローテイルは買わないと言っていたじゃないか」
統風は言った。
青水晶を削ってこしらえたような飛行具は、繊細な美を宿していてる。
それゆえに、自分の美しさに自信がない姉は、ただの「道具」に遠慮していたのだ。
自分には“似合わない”と。
「その、安かったから」
「でも」
「似合うって。
言ってくれた人がいたの」
跡風はうつむく。
「誰!」
統風は鋭く尋ねた。
青水晶でこしらえたような翅は姉に似合っている。
それを面と向かって伝え、考えを改めさせたのは誰なのか。
統風の知らない相手だろうが、それでも訊かずにはいられなかった。
「彩香ちゃん。
やっぱり、似合ってないかしら?」
「何だ、彩香か」
統風は安堵した。
姉の考えを変えさせた“誰か”が、彩香。
ファッションが大好きなあの妖精なら、さほどの害ではない。
「いや、似合ってると思うよ。
姉さんに、……とても」
蝶から連想させられる、脆い印象も、冬を越せない弱さも。
今にも消えそうなイメージのある姉に、似合っていた。
「……良かった」
跡風は、小さく笑った。
それが、村にいたころと変わっておらず、統風はひどく不安になる。
絶世の美貌を挙げるなら、少年の顔見知りの中にもいる。
他人を惹きつけてやまない魅力を持つ女性も、少なくない。
3種族が集まる祖龍の城において、姉は不器量なほうに入るだろう。
もともと、エルフ族とは思えないほど、華のない女性だ。
自信なさげに、少女のように困惑を浮かべ、控えめに振舞う姿に、保護欲がそそられないか、というと話は別だ。
百花絢爛な中だからこそ、名も知られないような花を守りたい、と思う自信家の人物がいてもおかしくない。
「とても綺麗だ」
統風は言った。
「……そういう言葉は、凍夜さんにかけてあげたら、どうかしら?」
「凍夜さんに?」
「好きなんでしょう?」
「そりゃあ、嫌いじゃないけど。
でも、姉さんが考えるような『好き』じゃないよ」
統風は、げんなりと訂正する。
パーティを長期間、固定で組んでいると、この手の勘違いをされる。
男女のペア狩りが「結婚」につながらないわけではないが……固定パーティ内で恋愛が必ず発生するわけではない。
「人の命は私たちが想像するよりも、ずっと短いのよ」
跡風は悲しげに微笑んだ。
自分に良く似た、それよりも深い色の瞳が、空を見つめる。
幻想的な月明かりを見つめるように。
「ずっと短いの」
姉は呟いた。
「……姉さん、好きだった人いたの?」
「え! そんな人、いないわよ!
ただ、ほら、その。
後で後悔することってあるでしょ。
統風にして欲しくなかったのよ」
跡風は大慌てで言う。
「ありがとう」
統風は、微笑んだ。
人族の命は短い。
ずっと一緒にいられるわけではない。
少年の脳裏に、一人の女性が過ぎる。
それは流星のように、一瞬の光だった。
見つけた次の瞬間には、消えている輝きだった。
姉は何人の天寿を見送ってきたのだろう。
自分はこれから何人の生命の終わりを、見送っていくのだろう。
精霊師でも、戦いをやめた生命を呼び戻すことはできない。
蘇生魔法で繋ぎ止められる魂は、戦うことを選び続ける者だけ。
「そうだね。覚えておくよ」
いつか、輝きが消える日があることを。
それまでの時間が有限だということを。
忘れてはいけない、と統風は心に刻みこんだ。