三種族が集まる城、祖龍の城。
凶悪なモンスターが何度、襲うとも、決して落ちたことがない。
難攻不落の城。
その一角に、人族の少女が座りこんでいた。
膝の上には大きな本、と青白く光る魔法の杖。
まだ若い魔導師だ。
故郷を離れ、三種族連合に所属したばかりの兵士だということがうかがえた。
髪の色は、月明かりの中でも明らかな白。
美しいプラチナブロンドではなく、完全に色素が抜け落ちた老人のような色だった。
褐色の肌とあいまって、風変わりな印象を他人に与える。
パサリッ
鳥の羽ばたきをそのまま大きくしたような音がした。
まるで、空想の中にいる怪鳥の立てるような音。
祖龍の城では、珍しくもない音だ。
エルフ族の羽音だ。
少女――白識は顔を上げた。
そこには顔見知りのエルフ族の青年がいた。
淡い色の髪は、おおよそ人が持つ色ではなく、登頂すらも叶わない険しい頂で見られる万年雪のような色をしている。
それがさらりと絹糸のように細く、美しい。
短くしているのが惜しいと思うほどだ。
肌は美形特有の不健康さを感じさせる白い色ではなく、闊達な印象を与える色をしていた。
無駄なく、むしろ鋼を思わせるように引き締まった体。
そして、甘く優しい顔立ち。
エルフ族らしく、整いすぎている。
「永雪殿」
「あ、ごめん。
邪魔しちゃったかな?」
青年は地上近くまで降りてくる。
それでも、その足は石畳にふれていない。
エルフ族。特に精霊師に見られる癖の一つだった。
背にある白い翼で、どこにでも行けるのだから、『歩く』という動作に不慣れなのだろう。
神から与えられた翼は、霊力によって維持されているという。
そのため、その形はさまざまで、機械を模したようなものや、蝶の羽のようなものまである。
年若い永雪は、真白な翼を具現化させていた。
「いえ。
永雪殿こそ、このような時間に……出かけていたのですか?」
氷緑色の髪の青年の左手には、薬草の束があった。
薬剤師の心得のない青年だ。
自分のためではないのだ、と一目でわかる。
「彩香殿に依頼されたのですね」
「あはは。
まあ、お世話になっているから」
永雪は翼を消すと、白識の隣に座った。
薬草の中には、香りの良い花があるのだろう。
胸をすくような清々しい香りがした。
「もう、そんな難しい本を読んでいるんだ」
永雪は白識の膝の上に乗っている本を覗きこんだ。
さらりと長い前髪が揺れる。
極上の糸。
同じ淡い色だというのに、艶が違う。
月の光を弾いて、静かに輝いていた。
「強力な魔法を習得するのは、魔導師の役目です」
「人族の魔道書は面白いね」
「そうですか?」
「こんなに覚えられる魔法があるんだ」
「精霊師にも、多くの魔法があると思うのですが?」
「……ああ、そうだね」
永雪は微笑むと、ためいきをついた。
「何か?」
「覚えられる魔法が多すぎて、どれから覚えて良いのかわからなくってさ」
「よく使う魔法から、覚えておけば良いのでは?」
「ううーん。そうなんだけど。
それすら上の階級が覚えられなくって。
まだ経験不足で」
永雪は言った。
「支援魔法を覚えようとすると、回復魔法が覚えられない。
攻撃魔法は、もっとかな?」
「永雪殿は精霊師なのですから、攻撃魔法は自衛程度でよろしいのではないのですか?」
「そうは言っても、ある程度は学習しないと。
足手まといになる」
青年は言った。
「そうですか?
数々の支援魔法と回復魔法。
それらを扱う貴殿が、足手まといとは思えないのですが」
魔導師の白識にはできないことが、青年にはできる。
どのような攻撃も減免する二種の壁。
肉体と精神ともに、回復力を増す神の加護。
精神力を飛躍的に向上させる光の剣。
その他に、複数の回復魔法を扱えるのだ。
足手まとい。と呼ぶには綺羅らかな存在だった。
魔導師とは違う。
白識はパーティメンバーを守るような魔法は一つも覚えられない。
これから先も。
「蒼月さんや白識が戦っているのに、俺だけが安全な場所にはいられないよ」
永雪は言った。
「弓使いも、魔導師も、戦うためにいるのです。
精霊師の貴殿とは違う」
攻撃しかできない。
パーティメンバーに恩恵を与えることはできない。
誰かを助けるための存在ではない。
強力な一撃で、怨霊を屠るためだけに。
――存在している。
「でも、俺は戦える。
だから戦わない、と」
決意のようなものをにじませて、精霊師の青年は言った。
「では、覚えられるが良い。
永雪殿が欲しがる力から、得ていけば良い」
白識は言った。
決意は固いのだろう。
この城に集まる者たちは、戦いを求めている。
それはこの世界の平和であったり、愛する者の平穏であったり、……復讐であったり。
生命が断ち切られ、魂が粉砕するまで、戦い続けるのだ。
白識は本に目を向ける。
火属性の魔法の終わりのほうに『エクスプロード』という魔法が書かれている。
己の生命力を精神力に転化させて行う攻撃魔法だ。
強力であるがゆえに、その分、生命は削り取られる。
いつかこの魔法を覚える日が来るのだろう、と白識は思った。
そして、詠唱する日が来るのだろう。
白髪の少女は、氷緑色の髪の青年を見上げた。
いつか……、自分はこの魔法を唱えるのだろう。
不意の事故が起きたときに。
最大の火力で持って、この魔法を詠唱するのだ。
それが……『戦う』ということだ。
「どうしたの?」
永雪は不思議そうに尋ねる。
「いや。
覚える魔法に悩みがあるのなら、跡風殿や統風殿に尋ねられたら良いのでは?」
白識は、懇意にしてくれる精霊師の名前を挙げる。
「う。
統風から聞くのか」
「良き先達だ」
「あー、あの人、女性には優しいからね」
永雪は弱りきった顔を浮かべる。
「それは誤解であろう。
この間、縁も縁もない人物に支援魔法をかけて回っていたのを見た」
己の精神力を犠牲にするのは、そうできることではないだろう。
エルフ族というのは『高慢』ということで有名なのだから。
「たぶん、跡風さんが普段、そうしているからだと思うよ。
ほら姉弟だから。
真似をしているだけだと思うんだよね。
それに――」
永雪は当たり前のように
「精霊師だったら、誰でもすることだよ」
と言った。
白識は微笑んだ。
壁が崩れたときに、強力な魔法を詠唱する。
敵の憎しみが一身に集まり、白識の肉体など、ほんの数秒で消し飛んでしまうだろう。
でも、ほんの数秒だけは持つだろう。
精霊師が逃げるだけの時間ぐらいは稼ぐことができるだろう。
だから、白識は重たい本の表紙をなでて、微笑んだ。