依在症


 こんな想いを覚えたのは初めてだった。
 焦げつくような感情は、灼熱に譬えてもまだ足りない。
 内に灯った強い気持ちは悦楽にも似ている。


 軍場に立つは誉れ。
 一軍を任せられたは、栄誉。
 その信に応えるは、臣として当然の義務。
 けれども、最も称誉されしは女人。
 劫火にふさわしからぬ佳人。
 誰が思う。
 曹魏のまったき後継の正室、その人だと。

 だが花のかんばせは、そうだと確信させる。
 麗しき笛の音は、不帰道への誘い。
 血染めの空を、蠱惑的な笑みが造る。
 女の容をしたモノが嬉しそうに声を上げる。
 まるで爛漫の宴の中、舞でも一指しするように、死体を築き上げていく。
 予定調和のように命が散っていく。
 散るなと歌っても、定めのように消える花のように。
 不自然さ一つなしに女は、敵を殲滅した。


 飴色の双眸に浮かぶは、狂気と紙一重。
 命よりも鮮やかな色の唇は、慈悲に満ち満ちた笑みを刻む。

 肉食獣のように狩りを愉しむようになったのは、いつからだろう。
 死すら甘美なもののように感じるようになったのは、いつからだろう。

 跳ねる鼓動、みなぎる緊張。
 高揚する。

 かつての自分は「生きる」意味を探して、軍場に立った。
 何もかもが色あせて見えた日々の中で、己を主張するためだった。
 今は違う。
 ここに立たずとも、己を認める者がいる。
 無理をして、炎の中に立ち続ける意味はない。
 では、何故……。

 人の気配を感じて、甄姫は身構える。
 が、すぐさま緊張を解く。
 先ほどとは違う笑みを浮かべ、甄姫は出迎える。
「我が君」
 そう呼んだ声は、誇らしさにあふれていた。
 
 自分で決めた主。
 他の人間は決してそう呼ばない。
 ただ一人だからこそ、嬉しい。

 朱に染まる前の空のような瞳と視線が絡む。
 命のやり取りとは違う響きで、指先まで血が走る。
 青年の瞳に映る自分はなんて美しいのだろうか。
 戦場で数多の死を築くよりも、大きな歓喜が駆け巡る。

「戦場に立つそなたは、生き生きとしているな」
 剣を扱うとは思えないほど綺麗な指先が、頬をなでる。
 ざらついた感触が、上気した肌に心地よい。
「我が君のお役に立てて、嬉しいからですわ」
 閨でささやかれる睦言より甘く、佳人は言う。
「それだけか?」
 玄冬の月の冴え冴えとした声が問う。
「戦に魅入られているように、見える」
「まあ、我が君」
 反論を告げようとした唇は、柔らかな静止を受ける。

「私以外のものに囚われるな」

 幽かな、けれどもしっかりとした命令に甄姫は瞳を伏せた。
 焼けつくような想いが暴れる。
 何故、軍場に立つのか。
 役に立ちたいから、愉しいから、生きていることを確かめたいから、誰よりも彼の近くにいたいから、独占したいから。
 どれもが理由にならない。
 全てが答えだった。

 芯がとろけるようなふれあいは、己が女ゆえ。
「私は、すでに我が君に囚われていますわ」
 熱のこもった吐息と共に零れる。
「房の中で証を立ててもらうとしよう」
 曹丕は口の端を歪めるように笑う。

 カチン
 甲高い金属音が煌く。

「時間切れのようだな。
 この続きは、また後だ」
 その言葉が投げられた先には、一両の兵。
 離れていく温もりを惜しいと思った。
「ええ、そのようですわね」
 甄姫は愛用の鉄笛を構える。

 すぐさま、綺羅綺羅しい白刃に想いは囚われる。
 全てを焼きつくさずにはいられない激情。
 
 戦は、まだ終わらない。
 甄姫を囚えつづける。


お題配布元:丕甄的二十題 12.依存症 真・三國無双TOPへ戻る