子どもなのか、大人なのか。
どちらともつかない。
春日望美はそんな年齢になった。
春休みが終われば、大学生だ。
通う道が変わり、面倒見のいい幼馴染は、朝起こしに来てはくれないだろう。
それが少しだけ寂しかった。
変わったのはそれだけではない。
仲良しの幼馴染は、紆余曲折を乗り越えて恋人同士になったのだ。
少なくとも望美は気持ちが通じたと信じていた。
何度も塗り替えた運命。
失ったから、知った感情。
ずっと一緒だったから、気がつかなかった大きな気持ち。
今はそれを大切にしたいと思っていた。
「――先輩」
心配そうな顔をした譲が望美を見つめていた。
せっかくのデートなのに、ぼんやりとしてしまった。
「先輩。美味しいホットケーキ屋さんがあるんですよ。
今度、一緒に食べに行きませんか?」
向かい側の席に座っている譲が提案した。
「今日は元気がなさそうなので、帰りましょうか?
先輩の家まで送りますよ」
譲は立ちあがる。
望美は座ったまま、空になったグラスを何とはなしに見ていた。
「先輩?」
「私は、いつまで先輩なの?」
気になっていたことがするりと滑り落ちた。
「それは……」
譲が口ごもる。
望美は視線を上げ、譲の瞳を見る。
シルバーフレームの眼鏡の奥を。
「望美って呼びにくい?
……そうだ、名案が思い浮かんだ」
望美は胸の前で両手を合わせて、パチンッと鳴らす。
「私は今日から譲くんのお姉ちゃんになってあげる。
好きなだけ『お姉ちゃん』って呼んでいいよ」
自分の思いつきに、ワクワクしながら望美は言った。
「上の兄弟は、兄さんだけで充分です」
「手間がかかる?」
望美は小首を傾げる。
長い髪がサラサラと零れ落ちて、邪魔だと感じた。
それでも幼い頃『長い髪がキレイ』だと褒めてくれたから、バッサリ切れずにいる。
今でも覚えていてくれるだろうか。
「自分で言いますか?」
譲はためいきをついた。
「だって、そんな顔をしている」
「気のせいですよ」
譲は視線を逸らした。
「もう先輩じゃなくなったのに、私ばっかり『先輩』呼び」
望美は肘をつく。
「……不満ですか?」
「もちろん」
望美はキッパリと断言した。
「善処します」
譲は困りきって首すじを撫でる。
そこには、もう白い宝玉はないというのに。
「私はいつから『先輩』を卒業できるの?」
望美は斜めに傾いたまま、幼馴染を見上げる。
「俺の覚悟が決まった時に」
生真面目な少年は答える。
「もう恋人同士なのに」
望美は唇を尖らせる。
視線が重なった。
譲は明らかに動揺していた。
「は、恥ずかしいですね。
面と向かって言われると。
それで、その、今度はホットケーキを食べに行きませんか?」
赤面しながら譲は言った。
「譲くんが美味しいと思うお店なら、飛び切り美味しいんだろうね」
望美は立ちあがった。
そして、手を差し出した。
ためらいがちに譲の手が望美の手を握った。
弓道部で鍛えた手は硬く大きかった。
幼い頃に帰ったように、そのまま手をつないだまま帰る。
あたたかいぬくもりを分けてもらうようで、嬉しくなった。
誰かに見られても平気。
二人は時空を超えて結ばれた恋人同士なのだから。
いつか曖昧さはなくなるだろう。
幼馴染が『先輩』と呼ばなくなる頃には。
望美が長く髪を伸ばすのに慣れたように。
きっと、いつか――。