その日、淡萌黄色の手紙が来た。
藤原幸鷹からの手紙だった。
花梨は紫姫に声をかけると、屋敷を抜け出した。
行き先は、神泉苑。紫姫の屋敷からほど近い場所で、龍神の神子である花梨にとってもなじみの深い場所だった。
今夜は、欠けた月が天空を飾り、星々がにぎやかだった。
「夜更けに、お呼びして申し訳ありません」
幸鷹は穏やかに微笑んだ。
その笑顔は、いつもと変わらない。
ほのかに香る侍従の香。
これが秋風の香りだと教えてくれたのも目の前の男性だ。
右も左もわからない場所に投げ込まれた花梨に根気強く、色々なことを教えてくれた。
「いえ、大丈夫ですよ」
花梨はほっとする。
今、京は良くない空気に包まれているから、毎日不安が募っていく。
こうして二人きりで、ゆっくりと話す機会があるのは嬉しい。
「どうしてもお話ししておきたいことがあるのです」
「なんでしょうか?」
花梨は、改まった言い方にドキッとした。
「もうすぐ、戦いが終わるでしょう」
その表情は暗い。
考え込むように、泉を見つめている。
結果の見えない戦いに息が詰まりそうになる。
京を救うために毎日頑張っているけれど、最後まで気を抜けない。
最後まで……、京を救って、元の世界に戻る日まで。
「幸鷹さんは、やっぱり帰らないのですか?」
花梨は気になっていたことを訊いた。
幸鷹が同じ世界の人間だと知った時、嬉しかった。
一緒に帰るものだと思っていた。
が、彼が選んだ決断は別のものだった。
「はい」
幸鷹はうなずいた。
有言実行の頑固者だということを花梨は知っている。
そんな彼だからこそ、好きになった。
「そうですか」
花梨もまた、神泉苑の泉を覗き込んだ。
欠けた月が水面に映っていた。
風が吹きさざめき、月が揺れる。
花梨の気持ちと同じように。
一緒にいたい、と思うのだけれど、二人の世界は違う。
同じ世界から来たのに、幸鷹は残り、花梨は帰ろうとしている。
まるで、天空の月と水面の月。
同じものに見えるのに、とても離れている。
「ですから、どうしても話しておきたいことがあるのです」
迷惑ですか?とやさしい色の瞳が尋ねたから、花梨は首を横に振った。
どんなことであれ、幸鷹から聴く話はためになり、面白かった。
それに好きな人の声は、少しでも長く聞いていたい。
「ガラスをご存知ですか?」
「はい」
唐突な質問に驚きながらも、花梨はうなずいた。
「ではガラスが千年たてば、土に還ることをご存知ですか?」
「そうなんですか?」
「ガラスは窒素のかたまりですから、大地に埋めれば微生物が分解して、新しい土になるのです」
幸鷹はそこで言葉を切った。
さやかに吹く風が青年の髪をさらっていく。
キレイだ、と花梨は思った。
「ですから、私の想いもこのまま埋めてしまおうかと思うのです」
「……」
「未来の貴方が歩く大地になるでしょう。
元の世界に帰ったら思い出してください」
幸鷹は言った。
もう彼の中では、決まってしまったのだ。
「幸鷹さん……」
花梨の胸の中にある恋心は告げることなく、この恋は終わろうとしている。
言わない方が良いのだろう。
それがお互いのためで……。
納得はしたくないけど、生きていく世界が違うのだ。
仕方がないことなのだろう。
泣きたかったが、花梨は我慢した。
「それはとても美しいことのように思えてなりません。
だから、このままで良いのです」
幸鷹は微笑んだ。
「はい」
諦めてしまったこの人に何を言えば良いのだろうか。
花梨にはわからなかったから、何も言わずにうなずいた。
「送っていきます。
今日は、お話を聞いてくださってありがとうございます。
私は、今夜を生涯忘れません」
幸鷹は言った。
そこに彼の気持ちを見出して
「はい、私も忘れません」
せつなかったけれど、嬉しく思った。
たとえ、一度も語られることがなくても、この恋は成就したのだ。
二人の想いはこんなにも重なり合っている。
月と星が綺麗な静かな夜だった。
ガラスのように、千年かけて大地に還る。
千年続く恋。
遙か時空を越えて見つけた初恋だった。