「幸せになりたい」
聞き間違えだろうか。
藤姫は瞬く。
珍しい唐菓子を持参した友雅は、当たり前のように几帳の中に入っていた。
来たものの何か考えるように黙っていたから、藤姫は特に声をかけなかった。
沈黙が漂っていた。
そこに唐突な言葉。
文台で書きものをしていた稚い少女は、顔を上げた。
「意外かい?」
上背のある公達は笑顔を浮かべた。
「もう、幸せそうですが?」
藤姫は言った。
「人間は貪欲なものだよ。
もっと、幸せになりたいと思うものだ」
友雅は紙扇をパタパタと広げる。
香が焚きしめられているのだろう。
長々と続く夜が到来したような香りがした。
それは、少し切ない秋風のような。
「何がお望みですか?」
藤姫は硯の上に筆を置いた。
「貴女の心を」
友雅は身を乗り出して囁く。
「まあ。ご冗談を。
友雅殿に恋をする女房たちはたくさんおりましてよ」
藤姫は目を丸くする。
公達は癖のある己の髪にふれる。
「どれだけ想いを寄せられても、たった一人の人のものでなくては意味がないのだよ」
友雅は言った。
「私は子どもですから、わかりませんわ」
藤姫はキッパリと言った。
「貴女の想いを手にすることができたのなら、幸せになれるのだけれども」
「他の女人に囁いてください」
藤姫は筆を取る。
香りが遠のく。
「そんなところも魅力的だよ」
友雅はさらりと言った。
恋愛遊戯に付き合わされるのは面倒だ。
藤姫が子どもだから、恋の対象にならないから、気軽にやってくるのだ。
幾度も恋を重ねても終焉を怯える。
それが公達の本性だ。
確かに、永遠に続くような『愛』を得たいのだろう。
そういう意味では『幸せになりたい』という言葉に偽りはない。
ただ藤姫には叶えて上げられないから、困っている。
年頃になったら、物語のように公達と恋に落ちるのだろうか。
そして、友雅のひびの入った心を癒すことができるのだろうか。
遠い未来に、藤姫はそっとためいきをついた。