祝う言葉

 長くて短い鬼との戦いが終着した。
 天から舞い降りた龍神の神子の手によって京は救われた。
 それを稚い少女はつぶさに見ていた。
 藤姫が星の一族ではなくても、きっとそれは変わらない。
 見守ることしかできず、歯がゆい思いをした。
 神子様のお役に立ちたいと願い続けていた。
 戦いが終わっても、いや戦いが終わってからもその気持ちは強くなる一方だった。
 天界から降りた客人たちは京に残ることを選んだ。
 理由はさまざまだったが、この地へ早く馴染むように周囲は配慮した。
 特に、政に利用されないようにと、神子は藤姫の父が引き取ることとなった。
 照り映える姫君。
 あかねの枕詞から、そう呼ばれる。


 土御門邸の一角、夏の濃厚な気配に御簾は巻き上がっていた。
 前栽の緑が眩しい。
 爽やかな風が吹く昼下がり。
「ねー。藤姫。
 友雅さんの好きな物ってなにかなぁ?」
 肩にかからない長さの髪の乙女が尋ねた。
「花でしたら、木蓮や橘。
 文の色でしたら銀色ですわ」
 藤姫は知っていることを答えた。
「そうじゃなくって、もうすぐ誕生日でしょう?
 何かプレゼントしたくて」
 あかねは言った。
「神子様からの文でしたら泣いて喜ぶと思いますわ」
「もう、神子様じゃないよ。
 今は藤姫のお姉さんでしょ」
 乙女はびしっと指を立てて、稚い少女の顔を指す。
「申し訳ございません。
 早く慣れるように努力はしているのですが」
 藤姫は頭を下げた。
 星の一族として仕えるという心構えは、幼い頃からできてはいた。
 が、しかし姉として見るのは難しかった。
 尊い貴人としての意識が上回る。
「それに文は好きな人だけに贈る物って決めたから。
 他の男性には出せないよ」
 恋する乙女の目で、あかねは言った。
 ここにいる大きな理由だ。
 愛する者と一緒にいたい。
 純粋な気持ちは、叶えられた。
「そうですわね。
 お姉様のおっしゃるとおりです。
 心に決めた人だけに贈るのが文の本質ですわね」
 藤姫は頷いた。
「話を元に戻しちゃうんだけど。
 友雅さんの好きな物、知らない?」
 あかねは訊いた。
「少し俗世に飽いたところのある方ですから、難しいですわね。
 執着する物があるのか、不思議です」
 今まで考えてもみなかった。
 心から欲する物があるのだろうか。
 友雅とは短くはない付き合いだったが、話題に出たことがない。
「だよねー。
 欲しい物は何でも持ってそうだし。
 お世話になっているから、プレゼントしたくて。
 藤姫にもわからないのかぁ。
 困ったな」
 あかねはためいきをついた。
「『ぷれぜんと』は必須なのですか?
 お祝いの言葉をかけるだけではいけませんの?」
 以前『ぷれぜんと』を用意できなかった時、乙女が教えてくれたのだ。
 祝う気持ちが何よりも嬉しいものだ、と。
「必須ってわけじゃないけど。
 友雅さんには色々と迷惑をかけたから、気持ちを届けたいんだ」
「お優しいのですね」
 藤姫はしみじみと言った。
「そんなことはないよ」
 あかねは笑った。
 難しい顔をしているよりも、こちらのほうが断然いい。
 乙女の笑顔は何ものにも代えがたい。
「友雅殿は八葉の一人。
 神子さまにお仕えするのは使命でしたわ。
 ようやく一段落着いて、羽を伸ばしたい頃ではありませんか?」
 戦いの日々は、まだ生々しい。
 忘れることなど、できそうになかった。
 誰一人、欠けることなく終わったことは嬉しい。
 穏やかな日常が帰ってきた。
「誕生日を祝われるのは、うっとうしいかなぁ?」
「束縛されるのを嫌う一面もありますが、お姉様直々となれば話は別ですわ。
 きっと喜んで出席すると思いますわ」
 退屈しのぎにはちょうどいい。
 そんなことを口の端に乗せてやってきそうだった。
「いまいち大人が喜ぶ、誕生日ってわからないんだよね」
 あかねは言った。
「お姉様の気持ちを知っただけで上機嫌になると思いますよ」
 尊い神子が自分のためだけに時間を割いてくれた。
 その事実だけでも「嬉しい」と公達も思うだろう。
「じゃあ、土御門邸で宴会かな?
 プレゼントは、それまでに思いついたらということで。
 ありがとう、藤姫」
「あまりお役に立てずに申し訳ありません」
 藤姫はもう一度、頭を下げた。
 公達の好きな物がわからなかった。
 通り一遍の受け答えしかできなかったことが悔しい。
 少しでも役に立ちたいのに、それが叶わないことが胸にのしかかる。
「いいのいいの。
 無理難題を言ったのは私のほうだから」
 あかねは優しく微笑み、藤姫の両手を取った。
「一緒に考えてくれてありがとう」

   ◇◆◇◆◇

 時刻は亥(午後10時)。
 酒宴の席になったから藤姫は自室に戻ってきていた。
 これからは大人の時間だ。
 子どもの藤姫は眠る時間と半ば、追い出されるように帰ってきた。
 ふいに御簾が揺れた。
「お姉様?」
 藤姫は小首を傾げる。
「仲良きことは美しきかな」
 御簾をくぐったのは宴の主人公だった。
「まあ、友雅殿」
 慌てて居住まいを正す。
「帰る前に、顔を見ておきたくなってね」
 上背のある公達は御簾をくぐる。
 さーっと秋風の香りが広がる。
 微かに酒の匂いが混じっていた。
 友雅は藤姫に対面するように、座った。
「照り映える姫君からこんなものを貰ったよ」
 手のひらにすっぽり収まる大きさの小箱を取り出した。
「軽々しく、他人に見せるのですか?」
 ついつい言葉が固くなる。
 一年に一度の日なのだから、もっと穏やかに接したいと思う。
 けれども、友雅と一対一になると体がこわばる。
「怖いね。
 相変わらず元気そうで良かったよ」
 公達は小箱を袂のところへ戻す。
 中身を見せる気はなかったようだ。
 藤姫は安堵したような、がっかりしたような気がした。
 そんな自分の気持ちの変化に途惑う。
「友雅殿は、お疲れ気味のようですわね」
 少女は何事もなかったかのように言葉を紡ぐ。
 公達に動揺したことを知られたくなかった。
「鋭いね」
 友雅は持っていた紙扇をパタパタと開く。
「お姉様の前では楽しそうにしていらしたけれども、顔色が冴えないですわ」
 淡く室内を照らす灯燭の中でも、しっかりと見て取れた。
 宴会の席ではにこやかにしていたけれども、二人きりの今は違う。
「ちょっと、宮中でごたごたに巻きこまれてね。
 良い息抜きになったよ」
 友雅はわずかに笑みを刻んだ。
「それなら良いのですが」
「時に、貴女は『ぷれぜんと』をくれないのかい?」
「友雅殿は何でも持っているではありませんか」
 目の前の公達が冷淡なことを知っている。
 必要のない物は捨ててしまうだろう。
 それがわかっているだけに特別、用意はしなかった。
「藤のようにしがみついてはくれないのだね。
 情れない人だ。
 そんなところも魅力的だけれどね」
 紙扇で一扇ぎする。
 焚き染められた侍従の香が藤姫の元まで届く。
 秋風の印象の強い香だけに、寂しさが募る。
「眉をひそめる貴女も素敵だ。
 これから、どんな女性に育っていくのだろうね。
 楽しみだよ」
 友雅は喉を鳴らして笑う。
「私は友雅殿を楽しませるためにいるわけではありません!」
 できのよろしくない冗談は不愉快だ。
 玩具のように扱われるのは、嫌だった。
「ふふ。怒られてしまったようだね」
「自覚があるなら、二度となさらないでくださいね」
 酔っ払いに釘を刺す。
「どうだろう。
 歳のせいかどんどん忘れっぽくなっているからね」
 友雅は紙扇をもてあそぶ。
「こんな時だけ、年寄りらしくならないでください」
 藤姫はぴしゃりと言った。
「大切なことはちゃんと覚えているよ。
 例えば、あと数日後に貴女の誕生日があることも。
 きっと神子殿は、盛大な宴を開くのだろうね。
 『ぷれぜんと』は文がいいかな?」
 友雅は藤姫を見つめた。
 灯燭の元でも、その双眸は艶めいていて、少女の鼓動は早くなる。
「浮ついた心で書かれた文ほど無用な長物はありませんわ」
 藤姫は視線をそらして言った。
 心臓が落ち着かない。
「心をこめて書くよ」
 公達は、嘘か真かわからないようなことを言う。
 虚偽なら悲しいし、真実だったら困る。
「これ以上、言葉遊びには付き合えませんわ。
 少し、お酒を飲みすぎたのではありませんか?」
 震えそうになる声を抑えて、少女は言った。
「手厳しい。
 今日はこれぐらいで退散するよ。
 貴女と過ごせた一時は、とても刺激的だったよ。
 では、また」

 去っていった背中に、祝いの言葉をかけそびれたことを後悔するのは数日後のことだった。
 祝いの言葉と共に美しい絵巻物を携えてやってきた友雅を見て、稚い少女は胸を痛めた。
 意地を張らずに祝えば良かったとしばらくの間、思い続けていた。


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