「えーと、これが淡萌黄で。
どうして黄色って入ってるのに……これ黄緑っぽい。
で、浅葱は、水色……?」
文台に向かう少女は首をひねる。
片手に淡萌黄。もう一方には、浅葱の紙が持っている。
風雅な薄い紙を紙飛行機にでもしかねない勢いで、ひらひらともてあそんでいた。
側に控える稚い少女がクスクスと笑う。
二人の年の差は目に見える形であるというのに、逆転しているようだった。
「一つずつ覚えていけばよろしいのですわ」
藤姫はにこにこと言った。
「うーん。
でも、詩紋くんはともかくとして、天真くんまで知ってるんだよ。
お花と紙ぐらいは覚えなきゃ」
白龍の神子と尊ばれる少女は、真剣に言う。
男の子に負けるというのは、悔しかった。
しかも雅とは程遠そうな友だちに先を越されたのが、面白くない。
「神子様、覚束なくても大丈夫ですわ。
お手紙をお出しになるとき、私もお手伝いします」
藤姫は塗りも艶やかな箱を文台に載せる。
中には、名残の桜が一枝。
「とある方から、贈り物ですわ。
花詠みの姫に」
「え?」
心当たりのなかったあかねは、再び首を傾げる。
「この花の歌を考えなくてはなりませんわね」
楽しげに藤姫は言った。
「いったい、誰からだろう?」
現代で見た桜と違って、こちらの桜はピンク色をしている。
「宿題、とおっしゃってましたわ」
「あ!」
あかねは紙を放し、手をポンと叩いた。
淡萌黄と浅葱の紙は花弁のように、ひらひらと舞いながら床に落ちる。
そこへ、御簾が巻き上がる音がする。
「やあ。
楽しげな声が廂まで響いていたよ。
私も混ぜてくれないかな」
背の高い公達が御簾をくぐりやってきた。
「友雅さん。
お仕事は良いんですか?」
あかねは尋ねた。
「神子殿も藤姫のようなことを言うのだね。
大丈夫だから、ここに来たんだよ」
友雅は床に座った。
「神子殿も罪作りのようだ。
この見事な桜は、どちらの桜だい?」
「鷹通さんです」
「おや、いつからそんな関係になったんだい?
私も気がつかなかったよ。
歳かな」
友雅はパタパタと扇を開く。
「お花をもらったのは、これが初めてです。
これからこれで歌を作るんです。
習うより慣れろって。
和歌を覚えるには、実際作ってみるほうが覚えやすいって、鷹通さんが」
「……もっと、趣のある話を望んでいたんだけれど、神子殿と鷹通では無理のようだ」
友雅は扇で口元を隠して、笑った。
「友雅殿!」
「誰でも、誤解をすると思うよ。藤姫」
「誤解って、どんな誤解をするんですか?」
あかねはきょとんとする。
「良い機会だ。
覚えておきなさい。
あの堅物は、この花と」
男は床に散る淡萌黄の紙を拾い、文台に載せる。
「この紙が好きなのだよ」
「よく知ってますね」
あかねは感心する。
「自然と身につくような事柄だからね」
「友雅さんは、どんな花と紙が好きなんですか?」
「私好みの文でもくれるのかい?」
「鷹通さんの後でよければ。
練習になりますから」
あかねは言った。
会話を見守っていた藤姫は、袖で口元を隠した。
小さな肩が揺れ、金の冠がチリンと音を立てる。
「私の好きな紙は、銀。
この季節の花なら木蓮だよ、神子殿」
友雅は言う。
「銀。
そんな紙があるんですか?」
あかねは思わず折り紙の中に入っている、銀色の紙を思い出す。
アルミ箔のようにキラキラしている紙に、墨で文字は書けない気がする。
油性ペンでもあれば、話は別だけど。
「神子殿のご期待に添えかねない代物だけれどね。
薄くすった墨のような色をした紙で、趣のあるものだよ」
「あ、灰色なんですか。
じゃあ、木蓮ってどんな形の花なんですか?」
あかねは疑問のすべてを片付けてしまうことにした。
「神子殿も見たことがあるはずの花だよ」
「名前に聞き覚えはあるんですけど……。
どんな花だか思い出せなくって」
あかねは、花に詳しいほうではない。
桜や椿ぐらいはわかるが、その他はまったくと言っていいほどわからない。
この京には、タンポポもチューリップも、パンジーもないのだ。
「木に咲く花でね。
凛と天に向かう姿はハッとするほど美しい。
剣神社に咲いていた花も見事なものだったね」
友雅は言う。
あかねは更に頭を抱えることになった。
剣神社の境内には、色々な花が咲いていたのだ。
せめて色の手がかりでもあれば……。
「まるで友雅殿みたいな花ですわ」
「褒めてくれるとは、嬉しいね」
「蕾のころは、風情があるというのに。
花がほころぶと、だらしなく広がってしまいますもの。
白木蓮はまだしも、紫木蓮ともなると、そのみっともなさが友雅殿そっくりですわ」
「ティッシュの花!」
あかねは思い出せたことが嬉しくて、大きな声で言ってしまった。
? の浮かんだ二つの顔が、あかねを見る。
「神子様の世界ではそう呼ぶのですか?」
「何とも不思議な響きのある名前だね」
「勝手に呼んでるだけです!
ちゃんと、元の世界でも『木蓮』って呼ばれてます!!」
あかねは、慌てて訂正する。
「では神子殿だけの、特別の呼び方なのだね」
「はい!
だから、友雅さん。
誰にも話さないでくださいね!」
念押しをする。
「他ならぬ、姫君のお願いだ。
誰にも話さないよ」
「特別の呼び方とは、素敵なものですわね。
思い入れがございますの?」
無邪気に藤姫は尋ねる。
「あ、うん。
ちょっとね。
元の世界で……」
あかねは困ったように笑う。
雅なこの世界では、恥ずかしくて、口が裂けても言えない。
通学路に咲く白い花を、鼻をかんだ後のティッシュみたいだと、友だちと話していた。などとは。
「では、神子様にとって木蓮は、縁の深いお花なのですね」
「そういうことになるのかな……」
あの花が木蓮っていう名前なんだ。
ちゃんと覚えておこう。と、二人をごまかしながら、あかねは思ったのだった。