雨に濡れる土御門邸。
空から細い糸が音もなく流れ落ちる。
この季節の雲は薄いから、陽の存在が感じられる。
雨降りでも、暗くはない。
全体的に柔らかな印象がする。
橘友雅は柱にもたれかかりながら、中庭を眺めていた。
「友雅殿」
澄んだ声がそれを中断させる。
友雅の瞳は穏やかにその声の主を見つめる。
歳相応な汗衫姿の少女がいた。
目に楽しい綾織の白はただ白くパリッとしていて、少女の髪色を際立てる。
裏は覚めるような純粋な青。
五月雨の鬱屈を払うような式目の名は、橘。
「おや、藤姫?
珍しいね、貴方がこのように端近に来るとは」
友雅は微笑んだ。
「友雅殿がこちらにいるからですわ」
軽く怒ったように藤姫は言った。
「私のためとは嬉しいよ、星の姫君」
少女の愛らしい仕草に友雅の笑みは深くなる。
「お誕生日、というものを聞いたのです」
「神子殿かな?」
「ええ。
神子さまの世界では、生誕を祝う日だそうです」
「こちらとは違うね。
とすると、その日がもうすぐ来るのかな?」
友雅は尋ねた。
「いいえ。
神子さまは初春の生まれですから」
「らしいといえば、らしいかな。
すると、まだずいぶん先だ。
それで?」
てっきり神子の誕生日が近いのかと思ったのだが、思い違いだったようだ。
祝いの品が欲しいという消極的な催促ではなかったらしい。
ひどい勘違いをしたものだ。
あの娘はもっと「やさしい」ということを失念していた。
「もうすぐ友雅殿の誕生日ですわね」
藤姫は言った。
「そういえばそうだね。
ああ、それでそんな話が出たのか。
気を使わしてしまったようだね。
ただ歳を重ねるだけだ。
私ぐらいになれば、数えるのも面倒になるものだよ」
友雅は苦笑した。
「お祝いをしようと思うのです」
真剣に少女は言った。
そのお節介さが良い、と友雅は思った。
「素敵な心遣いだね」
「何か欲しい物がありますか?
色々と考えたのですけれど、友雅殿の欲しいものが考えつかなかったのです」
藤姫はためいき混じりに言った。
それがずいぶんと大人のようで、その幼い外見とは不釣合いで、そそられる。
近い将来身につける匂いを見透かし、友雅は笑う。
「嬉しいね。
私のために悩んでくれるとは。
それが、十分な祝いだよ」
「そう言うわけにはいきません」
稚い少女は大真面目に言う。
「何でも良いよ」
「適当なことをおっしゃらないでください」
「君の選んだものなら、どんなものでも嬉しい」
友雅は思っていることを正直に告げた。
「いいかげんですわ。
それでは、何もいらないと言われたようなものです!」
藤姫は声をとがらせた。
「その気持ちが嬉しいのだよ。
ときに愛しの姫君」
「……愛しは余計です」
「では、我が宝の姫君」
「友雅殿!」
藤姫はその白い頬を染めて、叫んだ。
「いったい、あなたは何を望むと言うんだい?」
友雅は手にしていた扇を静かに開く。
「え?」
「私の誕生日が来ると言うことは、あなたの誕生日も来ると言うことだろう。
四日しか違わないのだからね。
私からの祝いには何が良いだろう?」
チラリと見遣れば、少女は困惑したような顔つき。
頬に手を当て、うつむき加減。
白い表着の上に、豊かな髪がさらりとこぼれる。
「それは……」
「聡いあなただからわかってくれたと思うが、意外にこれが欲しいとは思いつかないものなんだよ」
「まあ、そうですわね。
でも……本当に何を差し上げれば良いのか、迷っているのですよ」
自分のことを棚上げして、藤姫は言った。
本当に愛らしい女人である。
この愛情が平等でなければ、もっと嬉しいのだけれど、それは欲張りというもの。
それでも、ついつい意地悪したくなるから
「ではあなたの心を」
と、友雅は言った。
「え?」
大きな瞳が、さらに大きくなる。
「冗談だよ」
クスクスと友雅は笑った。
今は「まだ」良い。
これだけで十分だ、と友雅は自分に言い聞かせた。