玉梓

 土御門邸に華やかな笑い声がさざめく。
 ひっそりとしていた末姫の対は、天からの客神を迎えて以来、笑い声が絶えない。
 その変化を好ましく思っている公達がその門をくぐったのは、宵闇の迫る頃であった。


「んー、難しいぃ〜」
 娘はぼやいて、筆を置いた。
 年頃にしては短い髪も珍しいが、それ以上に変わった身なりをしている。
 それが不思議と似合っていた。
 彼女は龍神の神子で名をあかねと言う。
 その傍らにいた十を越えたぐらいの少女がクスクスと笑う。
「神子さま」
 あたたかな微笑みを浮かべ、藤姫は文台の隣に巻物を増やす。
「歌を作るのって、難しいね。
 枕言葉? っていうの?」
 あかねはためいきをついた。
「そんなに難しくお考えにならなくても。
 あれば便利だから使うだけですわ。
 技巧に凝ったお歌もよろしいと思いますが、素直なのもまた違った輝きがあると思いますわ」
「でも。
 覚えた方が良いよね……」
 あかねは淡萌黄色の紙をひらひらともてあそぶ。
 浅い緑色は、この季節の風の色そのものに思える。
 色無き風に神手ずからが、色をつけたようだった。

「知っていて損はいたしませんわね」
 ニコニコと藤姫は言った。
「うーん。
 どうしてこの言葉とつながるか、よくわからない」
 あかねは紙を文台の上に置いた。
 藤姫は困ったように微笑む。
 和歌は常識。
 季節の折々に技巧を凝らした歌を贈りあうのは、貴族のたしなみ。
 貴族の娘であれば、詞華集の一つは暗記しているもの。
 けれども天つ人である神子には、全く知らないことの連続。
「そうですわ、神子さま。
 神子さまの御名もございますのよ」
 藤姫は巻物を一つ開く。
 その中の一文字を指し示す。

       『あかねさす』

「照り映えるという意味ですわ。
 茜色に輝くということから」
「夕方にかかる、とか?」
「残念ながら。
 日や昼にかかります」
「やっぱり……難しいよ」
 あかねは頭を抱えた。

 そこへ、侍従の香りが重々しく到来を告げる。
「私だったら、たまずさかな?」
 背の高い男性が御簾をくぐった。
「友雅さん」
「友雅殿!」
「意味はわかるかな? 神子殿」
 風流な公達は魅力的な笑顔を浮かべながら尋ねる。
「えーと、使い?」
 あかねは藤姫に助けを求める。
「半分だけ、正解」
 友雅は藤姫の近くに腰を下ろす。
 ご自慢の扇をパタパタと開いてから
「妹にかかるのだよ」
 と、低い甘いやかな声でささやいた。

「へー、そうなんですか。
 友雅さんは物知りですね。
 それで、どうしてその言葉なんですか?」
 あかねは尋ねた。
「やはり恋人から手紙が欲しいからね。
 できるなら、恋々としたものを。
 今度、銀の紙でくれないかい?」
 友雅は文台から、淡萌黄の紙を取り上げた。
「神子殿はこの色がたいそうお好きなようだ」

「友雅殿!」
 藤姫はたしなめる。
「おや、妬いてくれるのかい?」
 友雅は微笑しながら、淡萌黄の紙を文台に返す。
「何のご用ですか?」
 稚い少女は睨みつける。
「手紙の返事をいただきに来たのだよ、姫君」
「ありませんわ。
 たやすく返事をするものではございませんでしょう?」
「これは手ごわいね」
 友雅は苦笑した。

「返事をしたらいけないんですか!?」
 あかねは弾かれたように質問する。
「さあ、どうだろう?
 私だったら、嬉しいね。
 女性からもらう手紙は、宝物だよ」
「友雅殿でしたら、たくさん宝物があるでしょうから、私のものは必要ありませんでしょう?」
 藤姫はツンと顔をそむける。
 その拍子に、金の冠が妙なる音を奏でる。
「まあ、返事を返さないというのも恋の駆け引きでは重要だよ」
 友雅は言った。
「いったい、誰と誰が恋をしているんですか!?」
 藤姫は声をとがらせた。
「一般論だよ。
 まあ、私とあなたとだったら、光栄だがね」
 友雅はのどを鳴らして笑う。
「からかわないでください!」
「私はいつだって本気だよ」


 ガタッ!!


「あ、ごめん。
 本当は静かに出て行こうと思ったんだけど」
 あかねは微苦笑した。
 床に転んでいた少女は立ち上がる。
「それじゃあ、ごゆっくり」



「み、神子さま!?」
「気がきいてるね」
「何て事をおっしゃるんですか!
 すっかり、神子さまに勘違いされたではありませんか!?」
「つれないね」
「神子さま、待ってください!!」


 そして、今日も土御門邸はにぎやかだった。


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