その姫がいる棟の対面している庭には、見事な藤棚がある。
夏の頃は蝶のような花びらが、いと優雅に波のようにさざめいていた。
今は、秋。
花は終わり、葉が朽ちてきた。
「淋しいものだね」
背の高い男は言った。
「そして、こちらも」
階を上って、男は御簾の前までゆったりと歩いていく。
秋風の香りがした。
左近少将橘友雅だ。
御簾の中の人物は、ほんの少し身構えたようだった。
シャランと金属音。
高く、硬く、せつない音色が響く。
「お久しぶりですわね」
聡明な少女の声が御簾を越える。
「何やら、忙しくてね……。
と言うのは言い訳だろう」
友雅は手にしていた扇をパタパタと開く。
「気がつけば、秋だった」
独り言のように友雅はつぶやいた。
「思い出していただいて……喜べばいいのでしょうか?
悲しめばいいのでしょうか?
約を交わしたわけではありませんわ」
藤姫はごく自然に言った。
その声には、怒りもなければ、喜びもない。
まるで、天気の話でもするかのように、当たり前の声音だった。
「それは、つれない言葉だ。
偽りでも、淋しかったと言って欲しいものだよ」
「ずいぶん身勝手なお言葉ですこと」
「おや、知らなかったのかい?
男は身勝手な生き物なんだよ」
扇を弄びながら、友雅は言った。
「これからは、心しておきますわ。
それで、ご多忙な少将殿。
今日は何の用でいらっしゃいましたの?」
「用がなくては、来てはいけないのかな?」
「考えれませんから」
やんわりと断言されてしまった。
自分で思うよりも信頼されていないと言うことだ。
友雅は苦笑した。
「用件は、藤姫。
貴女ですよ。
神子殿が無事に帰られてから、何やら気落ちの様子。
私のようなものでも、無聊の慰めになるか、と参った次第ですよ」
友雅は言った。
「それは素晴らしい心遣いですわね」
藤姫は友雅の芝居がかった言葉に、笑みをもらした。
「今日は、ずいぶんと他人行儀なんですのね」
「悲しむ貴女を見るのは辛い」
そう言いながら、友雅は御簾をくぐった。
まだ小さな少女は、ちょこんと座っていた。
外の藤は終わりだというのに、こちらの藤は咲き初め。
これから、花がほころぶ。
「寂しいとは思いますが、悲しいとは思いませんわ」
藤姫はおっとりと微笑んだ。
「それなら良いのだけれど」
友雅は口元に笑みをはいた。
たとえ、少女の言葉が強がりだとしても、それでかまわない。
「頼ってくれてもかまわないのだよ」
友雅は本音を言った。
藤姫は微笑をたたえたままだった。