初めての恋文

 京を救った天から舞い降りた乙女が初めて迎える冬だった。
 藤姫の館であかねは、時折やってくる八葉と共に時間を持った。
 八葉は、それぞれの生活に戻り、訪れるのは稀だった。
 藤姫も星の一族として、今回の戦いを記すので忙しそうだった。
 一人の時間が長いと、残って良かったのか疑問が湧いてくる。
 ただの邪魔者ではないか。
 そう感じてしまう。


「神子様、鷹通殿がいらっしゃっています。
 お通しいたしますか?」
 御簾越しに藤姫が尋ねた。
 手習いをしていたあかねの手が止まる。
「もちろん!」
 書き散らした文字が乾いているのを確認して、文机の隅に置く。
 ほどなくして落ち着いた足音が近づいてくきた。
 幾日ぶりだろうか。
 内裏での仕事が忙しい鷹通が足を運んでくれたのだ。
 あかねの胸が喜びでいっぱいになる。
「失礼します」
 御簾をくぐり鷹通がやってきた。
「今日は珍しい絵巻が手に入ったので、それをお持ちしました」
 と絵巻が几帳越しに差し出された。
 綺麗な紙からは、侍従の香がしてホッとした。
「ありがとうございます」
 あかねは笑った。
 でも、それも几帳越しでは伝わらないだろう。
 それが残念だった。
「鷹通さん、欲しいものがありませんか?」
 あかねは思い切って口を開いた。
「欲しい……ものですか?
 こんなにも幸せに包まれた毎日を送っているのに、これ以上望んだら龍神の怒りを買いそうです」
 鷹通は生真面目に言った。
 本心からの言葉だろう。
 欲がない答えに、あかねは落胆する。
「本当に欲しいものがないんですか?」
 あかねは、めげかけながら再び尋ねる。
「唐突にどうしたのですか?」
 几帳の前に鷹通は座った。
「それは……その、もうすぐ鷹通さんのお誕生日じゃないですか。
 何か素敵な物を贈りたいと思ったんですが、京ではお誕生日祝いを特にしないと聞いて、色々と迷ってしまって」
 あかねは言っていて悲しくなってきた。
 せっかく目の前に好きな人がいるのに。
 ちっとも嬉しくない。
 几帳があって良かったと思った。
 こんな表情は見せられない。
「スミマセン、迷惑ですよね」
 あかねは謝った。
「迷惑なんてとんでもない。
 神子殿がこうして私のことを考えてくださる。
 それだけで充分です」
 真摯な声が言った。
 神子と八葉らしいやり取りだった。
 いつまで自分は神子なのだろう。
 せっかく京に残ったのに。
 大切な想いを大事にしようと思っていたのに。
「形になる物を贈りたかったのです」
 所詮お飾りの龍神の神子だ。
 そう言われている気がしてくる。
「神子殿の世界では、そう祝ってきたのですね。
 ……欲しいものが全くないわけではないのですが。
 性急すぎるものばかりが思い浮かびます」
 困ったような、歯切れの悪い言葉が几帳越しに伝わってくる。
「どんなものでもいいんですよ」
 あかねは言った。
「女人が軽々しく言ってはなりません。
 それにつけこむ輩がいないとは限りません」
 鷹通はキッパリと言う。
「つけこんでくれてもかまいません。
 むしろ、そうしてください。
 私、本当にわからなくなっちゃったんです」
 涙が零れそうだった。
 大好きな人のお誕生日に何も贈れない。
 そんな無力な自分が嫌いになりかけていた。
「……そうですね。
 そこまで言うなら、文をください」
 落ちかけた沈黙を破るように、鷹通は言った。
「え!」
 意外な言葉に、あかねは驚く。
「神子殿の気持ちをこめて歌を詠んだ文がいただけるのなら、これ以上の幸いはないでしょう」
 鷹通の声はどこか、楽しそうだった。
 現金にもあかねの涙は引っこんだ。
「わかりました。
 鷹通さんのお誕生日までに、藤姫に鍛えてもらいます。
 頑張りますね!」
 あかねは言った。
 ラブレターの書き方を習うのは子どもじみていたが、それが望まれたのだ。
 どんな歌がいいだろう。
 手習いを始めていて良かった、と思った。
「頑張りすぎないでくださいね。
 今年は楽しみなことばかりですね」
 鷹通は嬉しそうに言った。
「神子殿からいただくのは少しばかり欲深いでしょうか?」
「もう私は龍神の神子ではありません。
 ただの来訪者です」
 あかねは無力な少女に戻ったのだ。
 怨霊が再び現れた時、封じられるのか。
 星の一族の藤姫にもわからないようだった。
「神子殿は神子殿です。
 京を救ったのはあなたの功績です」
「私にはもう……特別な力はないんです。
 いつまで私は『神子殿』なんですか?」
 あかねは勇気を奮って尋ねた。
「私が八葉である限り」
 鷹通は断言した。
「頑固ですね」
 そこが好きなところなのだから、仕方がない。
「お互い様ですよ」
 鷹通は言った。
 几帳の向こうは、きっと笑顔だ。
 そうに違いないとあかねは思った。
 鷹通のお誕生日までに歌を詠む練習をしなければ。
 そして、お誕生日には几帳越しではなく、直接顔を見るのだ。
 愛をこめた文と共に抱きつくのだ。
 きっと侍従の香は、途惑いながら受け止めてくれるだろう。
 近い未来を想像して、あかねは幸福に酔った。


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