雨の降らない水無月、土御門邸。
末姫のいる対の庭に一人の少女が立ち尽くしていた。
影を大地に縫い付けられてしまったように、青い空を見上げたまま動かない。
京の人間とは異なる服をまとった少女は奇怪であったが、鬼にも見えなかった。
彼女は元宮あかね。
時空を越えた龍神の神子だった。
今日で何もかも終わるんだ。
あかねは空を仰いだまま、思った。
長かったような気がするし、短かったような気がする。
元の世界に戻るために、今まで頑張ってきた。
それなのに、ちっとも嬉しくない。
ようやく帰れるのに、心にぽっかりと穴が開いた気がする。
あかねは、かすかに香る侍従で振り返る。
「こちらにいらしたんですね」
あたたかで穏やかな声。
八葉の一人、藤原鷹通だった。
「変わった装いですね」
鷹通は微笑んだ。
「え、あ。
元の世界の服なんです」
あかねはぎこちなく笑った。
「今日で、最後ですから」
自分の声に驚く。
全然、嬉しそうに聞こえない。
今日まで頑張ってきたことが全部ムダなような気がした。
どうしたのか、良くわからない。
そう、卒業式に似てる。
あんな感じで、涙がこぼれてきそうだった。
「帰れるとよろしいですね。
いえ、必ず。
あなたが元の世界に帰るように、努力いたします」
鷹通は言った。
「ありがとうございます。
なんだか、鷹通さんにはたくさん迷惑かけちゃいましたよね」
「いえ。私は八葉ですから。
当然のことしかしていませんよ。
それよりも、神子殿の方が何倍も素晴らしいと思います」
真面目な青年は言う。
「そんな、たいしたことしてないですよ。
ずっと守られてばっかりで……。
京を救うのも、成り行きです」
あかねは真っ直ぐな視線を受け止めることができなくて、鷹通に背を向けた。
「元の世界に戻りたかったから……。
すごくありませんよ」
あかねは晴れた空を睨みつける。
そうしていなければ、泣き出してしまいそうだった。
「それでも、私は素晴らしいと思いますよ。
慣れない場所で、一生懸命に役目を果たそうとしているあなたは、太陽のように眩しい」
鷹通は言った。
あかねを慰めようとしているのだろう。
それが辛かった。
理想化されている自分と、本当の自分が離れている。
この人は結局、自分を見てくれなかった。
いつまでも、神子殿で。
名を呼んでくれることはないのだ、と。
だったら、最後まで彼の憧れる神子殿でいたかった。
「鷹通さん」
青年の方に向き直ると、あかねは微笑んだ。
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げた。
息を吸い込んで、泣きたい気分をこらえる。
気持ちを切り替えるために、パッと顔を上げた。
精一杯の虚勢を張る。
彼が思い出すのが笑顔であるように、あかねは満面の笑みを作った。
これで親しく言葉を交わすのは、最後。
だから、あかねは空のように微笑んだ。