夜更けにノックの音が転がった。
こんな時間に王女の部屋に訪れる者は少数だ。
課題に出された本に栞を挟み
「どなたですの?」
ディアーナは扉に声をかけた。
「私だ。入ってもいいかな?」
甘い声が忍ぶように滑りこんできた。
予想的中。
そのことに上機嫌になり
「もちろんですわ」
弾んだ声で答えた。
ディアーナは鏡で全身を確認してから、静かに扉を開けた。
「寝るところだったかい?」
昼間とは違い、カジュアルな格好をした兄がいた。
またお忍びで街へ下りたのだろうか。
「誕生日おめでとう、ディアーナ」
今日、何回も聞いた言葉をセイリオスは言った。
そして大きな箱を差し出す。
「ありがとうございますですわ」
受け取った箱は思ったよりも軽かった。
「今日は忙しかったからね。
言いそびれていたよ」
セイリオスは微苦笑を浮かべた。
「お気持ちだけで充分ですわ」
ディアーナは言った。
病弱な父王に代わって摂政として働いている兄が忙しいことは知っている。
そんな兄が自分のために用意させていたのだろう。
受け取った箱には、綺麗にリボンが掛けられていた。
「可愛い妹が成人したんだ。
大切な日だ」
セイリオスは噛みしめるように言った。
「開けてもよろしいですか?」
礼儀な一環としてディアーナは尋ねる。
「もちろんだ」
セイリオスは目を細める。
いつまでも小さな妹なのだろうか。
離宮で共に過ごしたころと変わらない笑顔だった。
箱の中にはつばの広い白い帽子が入っていた。
長いリボンがあしらわれていて、爽やかな印象だった。
「まあ、素敵」
ディアーナは吐息を零した。
「気に入ってくれたかな?」
甘い声音が降ってくる。
「もちろんですわ。
お兄様はどうして、わたくしの欲しい物をプレゼントしてくださるの?」
ディアーナはセイリオスを見上げる。
「それだけディアーナのことが大切だからだよ」
内緒話を打ち明けるように、セイリオスは身をかかげてディアーナの耳元でささやいた。
セイリオスの息がディアーナの耳朶を打つ。
「お上手ですわ」
ディアーナは箱をぎゅっと抱きしめる。
同じ色の瞳が宙で絡み合う。
「本心からの想いだ。
来年は祝ってやれない。
最後の誕生日プレゼントだ」
セイリオスは、どこか寂しそうに言った。
「どうして来年から祝ってくださらないのですの?」
無垢な乙女は不思議そうに目を瞬かせる。
「ディアーナに似合いな夫君の元に嫁いでいるだろう」
自明の理、と言わんばかりにセイリオスは言った。
「いつまでもお兄様の妹でいたいですわ」
離宮で過ごした時のように、二人きりでいつまでも過ごしていたい。
それは変わらない願いだった。
「嬉しいことを言ってくれる。
でも、きっとディアーナは恋に落ちるだろう、
そして、幸福になるんだ」
まるで魔法をかけるようにセイリオスは言った。
「今でも充分、幸せですわ」
「もっと幸せになるといい。
なんと言っても、私の大切で可愛い妹なんだから」
セイリオスはディアーナの額に口づけを落とす。
「おやすみ、ディアーナ。
良い夢を」
そう言うと、どこか切なさを残した笑顔で扉を閉めて、去って行った。
「いつまでもお兄様の妹でいたい。
嘘ではありませんですわ」
閉じられた扉に向かってディアーナは呟いた。
届かないと知っていながら、どうしても口に出しておきたかったのだ。
そうすれば忘れないでいられる。
兄から引き離されるのなら、恋なんて知りたくなかった。
いつまでも……。
我が儘が許されるのは、昨日まで。
成人を迎えたディアーナは姉姫のように、嫁ぐのだろう。
小国であるクラインを守るため。
兄の最後の優しさを被る。
鏡に映ったディアーナは冴えない表情だった。
せっかくの誕生日プレゼントと不釣り合いな顔をしていた。