最後の夏

 執務と執務の合間を縫っての二人きりのお茶会だった。
 成人した妹も公務がある。
 忙しい中、スケジュール管理をして開かれる。
 この時間だけは、皇太子と第二王女という身分から解き放たれる。
 ただの兄妹となる。
 自然と、北の離宮を過ごしていた頃のように気安いものとなる。
 セイリオスにとって、かけがえのない時だった。


「お兄様。
 もうすぐ誕生日ですわね。
 欲しい物はございませんか?」
 ディアーナは世間話の一環として言った。
 乙女の蕩けるようなささやき。
 本音が零れてしまいそうになる。
「祝ってくれる気持ちだけで充分だよ」
 気持ちをひた隠しにしてセイリオスは微笑む。
 欲しいものなら、目の前に。
 どんなに手を伸ばしても、手に入れることはできない。
 夜空に輝く星が欲しいとわめく子どものように、我が儘を言えたらどんなに楽になるだろうか。
 そんなことはセイリオスにはできない。
 この国唯一の王子なのだから。
 法を破ることはできない。
 真実を明らかにすることはできない。
 あまりにも酷な重しを乗せられたものだと思う。
「お兄様は無欲ですわ。
 もっと我が儘を言っても良いと思いますわ」
 王族特有の紫色の双眸が見据える。
 紛い物ではない純粋な瞳。
 セイリオスとは違う。
 なんて美しい輝きを湛えているのだろか。
 曇りひとつない。
「ディアーナとこうして過ごしているだけで、贅沢だと思うよ」
 セイリオスは思ったことを口にした。
 ぬるくなり始めたティーカップにふれる。
 可愛い妹は来年の今頃には、相応しい立場と地位と権力を有した夫君と時間を共にしているだろう。
 いつまでもたった一人の可愛い妹ではいてくれないだろう。
 あるいは来年は夫君と一緒に、セイリオスの誕生日を祝いに来るのだろうか。
 認めたくない未来だった。
 それが分かっているから、この瞬間が切なくもある。
 永遠はないのだ。
 ただ一人の男として願望を伝えられたら、どんなにいいだろうか。
 そんな度胸もないまま、時間は確実に過ぎていく。
 それでいい。
 それがいい。
 妹は何も知らないまま、夢見るような相手と結ばれる。
 物語はハッピーエンドを用意している。
 セイリオスは脇役として、それに協力する。
 心とは裏腹に。
「本当に願い事はありませんの?」
「私の言葉を疑うのかい?」
 口にした茶の味も分からなかった。
 丁寧に吟味され、用意されたものだったが砂を食むようだった。
 ゆっくりと流しこむ。
 胸にわだかまる感情と共に。
 可愛い妹を困らせないように、ごまかした。
 これまでも、これからも。
 ずっと。
「お兄様の誕生日は驚かせるようなものを用意しますわ」
 ディアーナは断言する。
 愛する乙女からもらえるものならば、道端の石ころですら、宝石に勝る。
 どんなものでも良かった。
 出生の秘密を抱えるセイリオスにとって、誕生日すら真実のものかどうか分からない。
 望まれた生だと胸を張っては言えない。
 たった一人でも、祝ってくれる人物がいる。
 それが嬉しかった。
 今年で最後かもしれない、と思うとより強く感じる。
「それは楽しみだね」
 物分りの良い兄の顔をしてセイリオスは言った。
 そうやって時間は流れていく。
 最後に向かって。
 輝かしい最後の夏は忘れられない思い出になるだろう。
 セイリオスの胸に刻まれるだろう。
 最愛の妹と過ごした時間。
 二度目はない。
 駆け足のように過ぎ去っていく瞬間を追いかける。
 見送るのが役目だと知っているから、責務を全うする。
 この小さな国の皇太子として、紫色の瞳で。
 見届ける。


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