欲しい物

 穏やかな昼下がり。
 執務を離れて、穏やかな時間。
 セイリオスにとって、満ち満ちた時間だった。
「お兄様、誕生日に欲しい物はありますか?」
 薔薇色の髪の乙女が尋ねた。
「わたくしの誕生日に、素敵なプレゼントをくださったから、お返しにお兄様が喜ぶ物を贈りたいですわ」
 ディアーナはティーカップを片手に言った。
「ありがとう、ディアーナ。
 気持ちだけで充分だよ」
 セイリオスは微笑んだ。
 こうしてお茶の時間を共にするだけで幸せだった。
「お兄様ったら無欲ですわ。
 いくら摂政殿下とはいえども、わたくしとお兄様は兄妹ですわ。
 少しぐらいの我が儘を言っても、かまいませんことよ」
 ディアーナは紅茶に口をつけた。
「そうだね。
 ディアーナは私の大切な妹だ。
 その妹が祝ってくれる。
 それだけで充分な気持ちになるものだよ」
 セイリオスは心から言った。
「お兄様は、本当に欲しい物がないのですか?」
 ディアーナは、なおも食い下がる。
「国中あげて、誕生日会が開かれるのだから、これ以上望んではいけないような気がしてね」
「やっぱり、欲しい物があるのですのね」
 鋭くディアーナは言った。
 自分と同じ色の瞳が善意で輝いていた。
「こうして、ディアーナとお茶を共にしている。
 それだけでも充分だ」
 セイリオスはティーカップに視線を落とす。
 出自の分からない自分が国を治める日が来る。
 それは誰かが始めた嘘で、終わりの時まで持っていかなくてはならないものだ。
 誰にも気づかれてはいけない。
 あと半年もすれば、美しく育った妹は嫁いでいくだろう。
 それを止める権利はセイリオスにはなかった。
 欲しい欲しい、と望む物を手にすることはできない。
 それは裏切り行為だった。
 セイリオスを信じてくれている妹に、恋をささやいてはいけない。
 紫の瞳が憎たらしく思える。
 これがなければ出会わなかった。これがあるから恋に堕ちてはいけない。
 セイリオスは微笑んで、妹を見た。
「そうだね。
 ディア―ナが朝一番に誕生の祝いの言葉をかけてくれたら満足だよ」
「そんなことでよろしいのですか?」
「最後になるかもしれないからね」
 セイリオスは噛みしめるように言った。
 今ある幸せだけで満足しなければいけない。
「お兄様が望むのなら、お姉様のように結婚しませんわ」
 恋を知らない乙女は言った。
「それは困ったな」
 セイリオスは微苦笑を浮かべる。
 ティーカップをソーサーの上に置く。
 カチンと鳴って、それがひどく大きく聞こえた。
 まるで警戒するような音だった。
「幸せになって欲しいよ」
 本心を隠して青年は言った。
 誰よりも大切な存在だったから、幸せになって欲しかった。
 けれども、自分以外の男と結ばれるのを見るのは、苦しかった。
 それでも物わかりのいい兄の顔で見送るのだろう。
 それがセイリオスに与えられた使命だ。
「それは、わたくしの台詞ですわ。
 お兄様は自分のことは、いつでも後回し。
 全部片付いてから、わたくしに教えてくださる」
 乙女は可愛らしく、すねたように言う。
「ディアーナは妹だからね。
 本当だったら、隠しておきたい」
「王族の務めぐらい果たさせてくださいませ。
 お兄様は背負いすぎですわ」
 純粋な紫の瞳が青年を見据える。
「ありがとう」
 セイリオスは笑顔を作る。
「本当に、その気持ちだけで私は幸せになれるんだ」
 世界で一番、大切な存在が気をかけてくれる。
 嘘に嘘を重ねた自分には充分すぎる幸せだった。
 これ以上、望んではいけない。
 兄妹の線を越えてはいけない。
 セイリオスに課せられた役目を果たす。
 そのための紫の瞳だ。
「誕生日までに、考えておいてくださいですわ」
 ディアーナは形の良い唇を尖らせた。
「難問だな」
 セイリオスは兄の顔をして笑った。
 穏やかな昼下がりは過ぎていく。


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