手を伸ばせば届く距離にいたのに、ためらった。
欲しいと思っていたのに。
誰より強く想っていたのに。
キールにはそれができなかった。
保護者として振る舞うばかりだった。
自分の気持ちを押し殺し、軽口を叩いた。
本音を隠し、いつか来る別れの準備をしていた。
それが正しいと言い聞かせて。
本当は手放したくなかったのに。
この世界を選んで欲しかったのに。
気持ちに振り回されて、結局言えなかった。
芽衣は知らなかったはずだ。
きっと気がつかなかったはずだ。
そうでなければ、とんだ道化師だ。
これで良かったのだ、とキールは何度も何度もくりかえす。
そうしていなければ後悔で押しつぶされそうだった。
あんなにも近くにいたのに、手に入らなかったことに。
元の暮らしが戻ってきた今、あの頃がひどく懐かしい。
ずっと、なんてありえないと分かっていた。
それでも続くような気がしていた。
終わりがくることは、初めから分かっていたのに。
いつ、それが来てもいいように支度をしていたのに。
深まりゆく秋の中、隣にいない少女の影を追う。
出会わなければよかった、と思う。
偶然がなければ出会うことのない二人だったのだ。
だったら、最初から出会いたくなかった。
別れがこんなにも辛いものだと、気がつきたくなかった。
知りたくもなかった。
人間嫌いの緋色の肩掛けの魔導士でいたかった。
召喚した手前、面倒を見ていた。
何も知らない少女には保護者が必要だった。
成り行きで保護者になった。
迷惑だったけれども、仕方なかった。
事実と想いは正反対だった。
ホーリーグリーンの瞳は芽衣の笑い声を探す。
もう二度と聴くことがないと知っていたのに。
朗らかなに自分の名前を呼ぶ。
それにためいきを零しながら用件を聞いていた。
そんな日々は帰ってこないのだ。
何故、ためらったのだろうか。
強引にでも手を伸ばせばよかったのに、それができなかったのだろうか。
何に遠慮をしたのだろう。
この世界で生きていてほしいと懇願すれば、少女は頷いてくれただろう。
それぐらいのはこの異世界に馴染んでいた。
それぐらいには元の世界に帰ることを諦めていた。
きっと、時おり少女は寂しい顔をしただろう。
家族も友だちもいない独りぼっちの異世界で寂しそうに笑っただろう。
それが見たくなかったから、キールは決断した。
この世界で家族になることも、友だち代わりになることもできたはずなのに。
寂しいのは自分ひとりで充分だ。
喪失の痛みを知るのは自分だけで充分だ。
だから、これで良かった。
静かな生活が戻ってきて良かった。
もう二度と期待も、希望も持たない。
そんな世界で生きていく。
独りきりで。