時間ばかりが過ぎていく。
キールの眼鏡の奥のホーリーグリーンの瞳には焦りが浮かんでいた。
被保護者の誕生日が……もうすぐやってくる。
カレンダーに書かれた赤い花丸が痛々しい。
キールには女性が好むような贈り物は分からない。
ましてや異世界からの訪問者が喜ぶような贈り物は思いつかない。
ためいきばかりが零れる。
どうして思い通りに運ばないのだろうか。
誕生日ぐらい、元の世界で家族で過ごさせてやる。
それが一番の誕生日の贈り物だと思っていた。
どうやら、それは果たせそうになかった。
それがキールを焦らせる。
芽衣は、どんな気持ちで異世界で誕生日を迎えるのだろう。
それは幸せなのだろうか。
涙ひとつ見せずに、明るく振舞う少女が嬉しいと思ってくれるのだろうか。
キールにはそう思えなかった。
役に立たなかった本を閉じ、ホーリーグリーンの瞳はカレンダーを見つめる。
子どものように嬉しそうに花丸をつけていった少女の面影が思い出してしまう。
明るい笑顔で『忘れないでよ』と言った。
その声すら心の中で思い出せた。
忘れるものか。
たった一人の被保護者なのだから。
少女が笑う度に、キールは自分の過ちを何度も思いだす。
その度、心の奥の方が痛む。
自分の傲慢さを後悔する。
この世界に馴染んでいく少女が哀れだった。
元気に振舞っているが、故郷が恋しくないはずがない。
カウントダウンが始まった誕生日までに、元の世界へ帰してやる。
そのためなら、なんだってやってやる。
後悔は一度でいい。
少女が笑う度に、痛む心は必要ない。
時間は限られているのだ。
物思いで無駄にはしてはいられない。
まずは、できることをするだけだ。
キールは本の山から一冊、手に取った。
答えがあることを祈って。
◇◆◇◆◇
初めは面倒なことになったと思った。
少女のどんなことがあってもめげない強さに驚いた。
自分にないものを持っていることを嫉妬した。
階段を二段飛ばしで駆けあがっていく魔道の才能にビックリした。
いつかは追い越される。
そのことに恐怖した。
いつまでも一緒にはいられない。
そんな未練を感じる自分に意外性を覚えた。
いつかは離れていく。
それまでの日々が幸いであることを願った。
この人嫌いの緋色の魔導士が。
それだけ特別な相手になっていた。
別離の日に『やっと重い荷が下りた。清々した』と憎まれ口を叩けるだろうか。
離れていくその手を握りしめてしまわないだろうか。
それだけの時間が過ぎた。
思い出というにはほろ苦い。
そんな味わいだった。
そんな日が来なければいい。と二律背反な考えが過る。
自分はどうにかしている。
少女を元の場所に帰してやるのは、当たり前のことだった。
むしろ、この世界で異質なのだから存在してはいけない。
それでも……一瞬、脳裏に過ったのは幸せ過ぎる未来だった。
戯れにすぎない。
そんなことはあり得ない。
芽衣がキールのいる世界を選んでくれる。
満面の笑みで、キールの手を取ってくれる。
都合の好すぎる将来だった。
そんな日は来ない。
少女は元の世界に戻って、家族に囲まれて誕生の祝いをしてもらうのだ。
きっとキールの前で見せる笑顔の数倍、明るい笑顔で。
そうならなければならない。
そのためにキールは、今、努力をしているのだ。
それが泡になってしまうことなんて、できない。
どうにも集中できない。
青年は、窓辺から差しこむ月光に目をやった。
芽衣の声がキールの記憶を刺激する。
少女は無邪気に『こっちの月は大きいんだね』と、かつて言った。
月を見る度に、芽衣は異世界にやってきたのだと感じていたのだろうか。
それは辛すぎる日常だった。
どうして明るく振舞えるのか、分からない。
いっそ、恨まれる方が楽だった。
キールは本の山に囲まれながら、ためいきを一つついた。