祝う人がいる世界で

 ノックもなしにドアは開かれた。
 そんなことをする人物は一人しか心当たりがない。
 キールは面倒くさそうに視線を上げて確認する。
 心当たりが当たって、ためいきを一つ零す。
 芽衣が笑顔で近寄ってきた。
 キールは読んでいた本に視線を戻した。
「十月十五日はどうするの?」
 被保護者が暢気に尋ねた。
「院で過ごすが?」
 ホーリーグリーンの瞳は文字を追いかける。
「せっかくの誕生日なのに?」
 芽衣が机を両手のひらで叩く。
 バンっと大きな音が鳴った。
 叩いた手の方が痛そうな音だった。
「もう成人しているんだ。
 祝うこともないだろう」
 この本もハズレのようだ。
 時間を無駄にしてしまった。
「アタシの時は祝ってくれたじゃん。
 だから、お返しというか。
 お礼をしたいんだよね」
 芽衣はしどろもどろに言う。
 台風の目のような少女には珍しいことだった。
「アイシュだって寂しいと思うよ。
 家に帰りなよ」
「どうして、そこで兄貴の名前が出てくるんだ?」
 キールは顔を上げた。
「二人っきりの兄弟じゃない。
 きっと心配していると思うよ」
「俺がいない間、お前はどうしているんだ?」
 芽衣の意見を取り入れたわけではないが疑問を尋ねた。
「まだ魔力が安定していないんだ。
 暴走をしたら、誰が止めるんだ?」
 キールは異世界からの来訪者の保護者だ。
 管理する義務がある。
 利用しようとする上層部から守る責任がある。
「だから三人で祝うってのは、どう?
 街にある家に行ってみたかったんだ」
 芽衣は楽し気に言う。
「そこが本題か。断る」
 キールは読書を再開する。
「えー、どうして。
 記念に残る誕生日になると思うよ」
 自信たっぷりに芽衣は言う。
「こう見えても忙しいんだ」
 本を読んでばかりいる姿は、いかにも暇そうに見えるだろう。
 キールの内心は焦りでいっぱいだった。
 例年ならば郊外の森で散策をしていただろうが、今年はそちらまで足を延ばすことはなかった。
「一日ぐらい研究しなくても大丈夫だよ。
 キールは天才なんでしょ」
 栗色の瞳は絶大な信頼を寄せていた。
「残念ながら秀才どまりだ」
 読み終えた本を閉じる。
「え? だって最年少で緋色の肩掛けを許されたんだって聞いたけど」
 芽衣は身を乗り出す。
「魔力なら兄貴の方が上だ。
 ……隠しているみたいだけどな」
 キールは次の本を手に取る。
「へー、そうなんだ。
 意外だね」
 あっけらかんとした声が届く。
「俺は一日たりとも休むことはできない」
 被保護者を元の世界に戻すまで。
 口には出さなかったけれども。
 それが一番の目標だ。
「切磋琢磨ってヤツ?
 それともアイシュに負けたくないの?」
 無邪気に問いかけてくる。
 古傷が抉られる。
「……兄貴に勝てたことなんて一度もない。
 魔法の道を進んでいたなら、兄貴はもっと優秀な成績を修めていただろう。
 間違った……召喚も起きなかっただろう」
 キールは期待しながら新しい本を開く。
「もしかしてアタシのこと気にしているの?
 この世界、けっこう気に入っているよ。
 だからさ、三人で祝おうよ」
「そこで『だから』がつくのが不思議なんだが。
 これ以上、俺の時間を邪魔をするのなら、出て行ってもらうぞ」
 夢を見てはいけない。
 一秒でも早く。
 芽衣を家族の元へ帰してやらなければならない。
「それって魔法で強制的にってこと?」
 少女が尋ねる。
「そうなるな」
 キールはそっけなく答えた。
「じゃあ、帰る。
 十月十五日を諦めたわけじゃないからね」
 芽衣の言葉に視線を上げれば、栗色の瞳は真剣だった。
「忘れてくれ」
 心からの言葉をキールは言った。
 双子の兄と比べられるのも。
 十月十五日は幸せだった、と気づかされるのも。
 ご免だった。
「キール=セリアンが生まれた喜ばしい日を忘れることはできないよ」
 それだけで嬉しいと思ってしまう。
 小心者の心を隠して
「カウントダウンが必要か?」
 冷たく聞こえるように言った。
「はいはい。自分の部屋に戻りますよ。
 絶対に祝うんだから」
 捨て台詞のように芽衣は言うと部屋から出て行った。
 静寂さが戻ってきても、キールはページをめくることはできなかった。
 誕生日まで数日。
 それまでに文献をあたっても、芳しい成果は得られないだろう。
 人の好い兄のことだ。
 三人揃っての誕生日に賛同するだろう。
 それを無下に断ることができないほど退路を断ってくれるだろう。
 気が重かった。
 独りっきりになった部屋で、ためいきを一つついた。


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