懐かしい味

 地の守護聖の執務室。
 テーブルの上にはティーカップが二つ。
 一つはすでに空になり、ぽつんとたたずんでいる。
 もう一方はルヴァの手のひらの中にあった。
 先ほどまでいたお客様は小鳥が飛ぶように去っていた。
 彼女は女王候補だから忙しいのだ。
 忙しくなかったら困る。
 ……宇宙のためにも。
 ルヴァは息を吐き出した。
 気をつけていないと、思考が偏っていく。
 女王試験は始まってしまったのだ。
 たとえ守護聖の自分であっても、どうにもならないところまで事態は進んでいるのだ。
「ひとつひとつ、ですね」
 できることからひとつずつ。欲張りはいけない。
 金の髪の女王候補に言ったばかりの言葉だ。
「口にするのは簡単ですが、実行するとなると難しいものですねー」
 ルヴァは立ち上がる。
 空になったティーカップを手に取り、気がついた。
 アンジェリークが座っていた椅子に小さな包みがあることに。
 持ったばかりのティーカップをテーブルに戻す。
「忘れ物でしょうかー」
 元気な少女が好きそうなピンク色の包み袋。
 濃い緑色のリボンで口をきゅっと結んであった。
「失礼しますよー」
 ここにはいない少女に声をかけてから、ルヴァは包みに手を伸ばす。
 リボンには模様ではなく、文字が書いてあった。

  『ルヴァさまへ。 アンジェリークより』

 青年は灰色の瞳を瞬かせた。
「私、宛てですかー」
 予想もしていなかったプレゼントだ。
「ありがとうございます、アンジェリーク」
 ルヴァは微笑んだ。



 ルヴァはテーブルを一度片付け、新しいお茶を淹れた。
 紅茶ではなく、緑茶。
 淹れ終わってから、飲みなれたものを選んだことに気がついた。
 女王試験、女王候補というものに緊張していた証拠のような気がした。
 少女たちがここに慣れていないように、ルヴァも飛空都市と異例の事態に慣れていないということだろう。
 アンジェリークが置いていったピンクの包み袋の中には、クッキーが入っていた。
 見た目に少々難のあるもので、買ったものではないと一目でわかった。
 一生懸命な少女だから、一生懸命に作ったのだろう。
 ショーケースに飾られるそれよりも。
 聖殿で用意されるそれよりも。
 ずっと美味しそうに見えた。
 ルヴァはクッキーを一口かじった。
「懐かしい味がしますねー」
 香ばしいを通り越して焦げた部分。
 均一ではない食感。
 サクッと焼きあがっている部分もあれば、ボソボソとした部分もある。
 ルヴァは懐かしいと思った。
 砂が空をおおう大地で暮らしていた頃に、母が作った『ケーキ』もこんな味をしていた。
 主星発行の雑誌に載っていたエッセイに出てきた『ケーキ』。
 材料もわからなければ、分量もわからない。
 エッセイを書いた人物が「美味しい」と書いた『ケーキ』だった。
 書斎中の本を開き、レシピを検討して、代用できそうな材料を集め、母が作った『ケーキ』は、エッセイに出てきたものと別物だったのだろう。
 料理上手の母が作ったものとは思えない風変わりな味がしたものだった。
 それでも、それは「美味しかった」のだ。
 ルヴァは主星に来てから、そのエッセイの『ケーキ』と同じレシピで完璧に似せられたものを食べる機会に恵まれたが、母の作ってくれた『ケーキ』ほど美味しいとは感じられなかった。
 金の髪の少女が持ってきてくれたクッキーは、『ケーキ』に似ていた。
 とても懐かしく、とてもあたたかい。
 そんな……味がした。


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