その肩は小さくふるえていた。
遠くから見てもはっきりとわかるほどに。
隣に立つ青い髪の少女が毅然としていたために、余計に目立って見えた。
張り詰めた空気の中を対照的な二人の少女が歩いていく。
少女たちはどこも似ていない。
外見も、その身を包む雰囲気も、何もかもが対比。
けれども、一つだけ同じだった。
それ一つだけが、そっくりであった。
二人とも玉座を見すえていた。
黄金の椅子の重みを感じているのか、これからの試験を考えているのか。
ふるえている少女の緑の瞳は、真っ直ぐ玉座を見ていた。
それが、守護聖の末席の青年には意外に見えた。
緑の瞳の少女はふるえがちに、名前を女王に告げた。
その澄んだ声が紡いだ名前は『天使』であった。
時の生み出した偶然に、青年はブルーグレーの瞳を伏せた。
地の守護聖ルヴァは二つの書類を自室で眺めていた。
二人の女王候補の経歴書である。
家族構成に始まって、趣味、好きな食べ物、嫌いな食べ物、好むこと、好まざること、誕生から、学校における態度まで。性格の傾向、指向。本人すら知らないことがびっしりと書いてあった。
ルヴァはそれに目を通していた。
女王候補の性格の把握は、大変重要なことであった。
次の女王の性格、であるからだ。
ルヴァにとっては3人目の女王。
聖地においても、それだけの時間が流れた。
けして、短くはない歳月だ。
外界ではどれほどの月日がたったのだろうか。
ルヴァは軽く目を伏せる。
いつでも、鮮やかに故郷を思い出せる。
砂広がり、どこまでも覆いつくす不毛の大地。
そこに吹く風はいつも砂混じりで、空さえ黄色に染め上げる。
もう、二度とたどりつけない場所。
……そして、もうすぐ失われてしまう。
「本当の意味を知らないままで、良かったんでしょうかねぇー」
青年はつぶやいた。
自室に一人であればそれを聞く者もなく、ただの独白である。
だが、問わずにはいられなかった。
ルヴァは書類を見つめた。
未来の女王たちに。
異例の女王試験。
女王の資質を試すには絶好の環境が整えられた。
守護聖たちの途惑いはゆっくりと浸透していった。
「はぁー、本当に浮かんでいるんですねー」
青年は窓を押し開く。
ちょうど良い温度の風が、常緑樹色のカーテンを揺らして室内に滑り込む。
淀んでいた空気が流れ出した。
室内は落ち着いた雰囲気でまとめられていて、青年の印象と重なる。
時を経て飴色になった家具、常緑樹色の絨毯、柔らかな色の照明器具。
目を引くのは大きな木製の机と、大きな惑星儀。
部屋は大きく、ゆったりと作られているが、大きな本棚があるためか手狭に見えた。
まるで、学者の書斎のようである。
本棚の前には整理のついていないダンボールの山。
中身は当然、本である。
未整理の山を無視して、青年は風景に見入っていた。
この上なく人工的に造られた美しい都市。
いくつかの石造りの建物。それを隠すように広がる森。
地平の果てまで広がるグリーン。
蒼と碧の境界線が見える。
目まぐるしく変わるスクリーン。
雲が蒼の中を、速く流れていく。
「落ちたりはしないんでしょうかねー」
青年はのんびりと洒落にならないことをつぶやいた。
ここは惑星の観察用の浮遊大陸。
重力、引力、気圧など諸々を無視して空中を浮かぶ飛空都市だ。
明後日から開始される女王試験のためだけに用意された。
「でも、ここから落ちたら地面にたどりつくまでに死んでしまいますねー。
この外の重力とかは、どうなっているんでしょうか?
まあ、落下速度に耐えられても、大気圏で燃え尽きてしまうでしょうし」
物騒な独り言つぶやく彼も、女王試験の関係者だ。
宇宙を慈愛で包み込む優しき支配者、女王を支える九人の守護者の一人。
知恵と知識を預かる地の守護聖。
それがこの部屋の主の肩書きだった。
二十代半ばのマイペースな青年には、そういった輝きは見えなかった。
史学者か考古学者の助手。
頼りなさそうな表情に、マイペースな話し方。
強く出るタイミングをつかめなくて、押しが弱すぎて、それが嫌味に映る。
そんな青年が地の守護聖ルヴァだった。
彼はうーんっと伸びをする。
ゆったりとした動作で、肩に手を置いて、首を左右に傾ける。
実に、のんびりとした仕草であった。
「さて、準備をしましょう」
彼は微笑んだ。
この飛空都市は、聖地に良く似ている。
とても、似ている。
ルヴァは森の湖の淵にしゃがみこんで、湖をのぞきこんでいた。
水面に冴えない表情の青年が映っていた。
湖をのぞきこんでいるルヴァと、湖の中のルヴァと同じぐらいに良く似ている。
できるだけ聖地に良く似た環境を造ったのは、女王陛下らしい配慮である。
慣れない環境下で、サクリアを長期に渡って使うのは、守護聖に強いストレスを与える。
守護聖は、守護聖である限り死ぬことはできない。
自然治癒力に優れ、免疫力も強くなる。老化速度も緩くなる。
肉体は死なないが、逆に言えば、精神が蝕まれた場合、女王陛下でも救うことはできない。それでも、守護聖はその身の内のサクリアが尽きるまで、守護聖であり続けなければならない。
それは本人にとっても、周囲にとっても、宇宙にとっても、女王陛下にとっても、不幸せなことだった。
ルヴァは立ち上がり、辺りを見渡す。
「本当に、ここは落ち着きますねー」
滝が流れ落ち、湖に絶えず波紋を作る。
水しぶきは周囲をひんやりと潤す。
何の気なしに、ルヴァは空を見上げ太陽を見る。
ゆっくりと、足元の自分の影を見下ろす。
「でも、ここは違いますね」
かすかに微笑む。
この時間、聖地であれば滝に虹がかかる。
女王陛下と言えども、そこまでの再現は無理だったのだろう。
ここまで何もかも似ていると、少しのズレが許せなくなる。
それだけが、惜しかった。
ふいに、明るい笑い声が聞こえてきた。
ルヴァは考え事を中断して、顔を上げる。
緑の間に間に、薄紅のマーメイドラインのドレスをまとった気品にあふれたうら若き女性と、そのすぐ後を子犬のようにヒョコヒョコとくっついてくる赤を基調とした制服の少女が見える。
女王補佐官のディアと女王候補の一人アンジェリークだ。
「こちらが森の湖です。
この落ち着いた雰囲気を求めて、飛空都市の人たちはやってくるのですよ。そして、ここは別名……。
ルヴァ、こんにちは」
ディアはルヴァに気がつき、会釈した。
金の髪の女王候補は、ペコリッと90度のお辞儀をした。
「こちらは地の守護聖ルヴァ。
そして、こちらが女王候補のアンジェリークです」
「こんにちはー」
ルヴァは穏やかに言った。
「こんにちは!
あ、あの、よろしくお願いします!!」
見るからに元気そうな少女は、元気良くお辞儀をした。
また、キラキラとした金の髪が滝のように肩から零れ落ちる。
「はい、こちらこそ、よろしくお願いしますねー」
ルヴァは言った。
少女の明るさを憧れにも近く、疎ましく思いながら。
「ルヴァ。一人でこちらに?」
ディアは苦笑する。
「ええ。何か問題があるのですか?」
「ここの別名をご存じないようですのね。この湖は『恋人たちの湖』と呼ばれているんですよ」
笑いながらディアが教えくれた。
金の髪の女王候補もクスクスと笑う。
緊張しているよりも、笑っているほうがいいですねー、とルヴァは暢気に少女を見た。
緑、いや、翡翠色の瞳とブルーグレーの瞳が一瞬だけ絡む。
アンジェリークはバツ悪そうに目を伏せた。
「はあ。そうなんですかー。
この世界にはまだまだ私の知らないことがいっぱいあるんですねー。
はあ、すごいですねー」
ルヴァは感嘆した。
女王試験のためだけに急ピッチで造られた飛空都市に、すでにそういった別名がついているとは……。
「では、私たちはこれで」
ディアとアンジェリークは会釈して、去っていった。
ルヴァは再び、静かになった湖を見る。
「ここは本当に不思議な場所ですねー」
彼のつぶやきは森に吸い込まれていった。