七月十二日は特別な日。
神鳥の宇宙の女王陛下と地の守護聖が秘密のお茶会をする日。
それは女王陛下が即位をしてから、ずっと続いている内緒のお茶会。
女王補佐官すら遠慮する二人きりの、二人だけの、ガーデンパーティー。
招待状が密やかに届いた地の守護聖は、どこかソワソワしながら、執務を終えて薔薇が咲き誇るガーデンへやってきた。
待っていたのは女王陛下の飛び切りの笑顔。
いや、ただの少女に戻ったアンジェリークの笑顔だった。
「お招きいただき、ありがとうございます」
ルヴァはブルーグレイの瞳を細めた。
「堅苦しい挨拶は抜きよ。
今日の主役は、座って座って」
アンジェリークはピンク色のワンピースをひるがえして、椅子を引く。
女王陛下にさせるには、少々気づまりだったが、少女が譲らない。
押し問答になることが分かったのでルヴァは椅子に腰かけた。
テーブルの上には色とりどりのミニケーキと湯気が立つティーポット。
ルヴァの前に置かれたカップアンドソーサーにお茶が注がれる。
薔薇に負けない馥郁たる香りが立つ。
アンジェリークは手慣れた動作でティーポットを扱う。
ルヴァは、そのことに年月を感じてしまった。
「どうぞ」
と緊張した面持ちでアンジェリークは言った。
翡翠色の瞳は候補生時代と変わらなかった。
「いただきます」
ルヴァはカップを持ち上げた。
この時期にしか味わえない夏の味がする紅茶だった。
口の中で広がった味に笑みが深くなる。
「美味しいですね」
ルヴァは、かつての生徒に花丸の評価をした。
「本当に!」
アンジェリークの瞳が宝石のように、キラキラと輝く。
「嘘をついてどうするのですか?」
ルヴァはソーサーに戻す。
飲み切ってしまってはもったいない。
「……気を使ってくれるかもしれないでしょ?
だって、仮にも女王だから……まずい、とは言えないでしょ?」
翡翠色の瞳が揺れる。
「私は嘘が苦手ですよー。
本当に美味しく淹れられましたね。
特別な味がしました。
疑うならご自分のカップにも注いで飲んでみてください」
ルヴァは言った。
少女の強張った顔がほろほろと崩れる。
笑顔まであと一歩。
白い手が自分のカップにお茶を注ぐ。
どれだけ練習したのだろうか。
今日という日のために。
ルヴァの向かい側の椅子に座って、一口含む。
それから思案顔をして
「これが特別な味?」
アンジェリークは尋ねた。
「はい、私にとっては特別な味です」
ルヴァはうなずいた。
少女は何か言いたそうにして、結局はためいきを一つついた。
どこにでもある味かもしれない。
それでも少女が淹れてくれたお茶なのだ。
七月十二日に。
歳を数えることを止めてしまったルヴァの誕生日に。
くりかえされる日々の中での特別だった。
紅茶の中にブルーグレイの瞳が移る。
女性を喜ばせるのは、自分には至難の業だった。
それが少しばかり切なかった。
「どれもこれも可愛らしいですねー」
ルヴァはテーブルに並べられたミニケーキたちに言う。
「本当は手作りできたらいいのだけれど。
職人が作った物には負けるわ」
アンジェリークは遠くを見るような瞳をした。
「そうですか?
あなたが作ったものなら、どんなものでも美味しいと思うのですがー?」
「昔よりは、ね」
少女の白い指がカップの縁をなぞる。
「懐かしいですね」
ルヴァは顔を上げ、しみじみと言った。
お茶の入れ方も知れなかったアンジェリークの取り柄は元気さだった。
何も知らない世界に放りこまれて、それでも懸命に前を向き続けた。
胸の中に渦巻くように、絶望をひたかくしにていたルヴァにとって救いだった。
宇宙の危機が去った時は、謝りたかった。
それなのに、アンジェリークは笑っていた。
前人未到の偉業を行った少女は、幸せそうに笑っていたのだ。
ルヴァは何も言えなくなってしまった。
先生と教え子という立場が逆転した。
「覚えているの!
忘れてほしいわ。……恥ずかしい」
アンジェリークは赤面して、うつむいた。
ルヴァはカップを持ち上げ飲む。
丁寧に淹れられた紅茶だと思った。
「あなたのことなら、忘れることができませんよ」
「規格外の女王候補だったから?」
翡翠色の瞳がそろそろとルヴァは見る。
まるで叱られるのを待つように。
「聖地に新しい風が吹き込みました。
誰も彼もが変わりましたー」
そのうちの一人は自分だろう。
そう思いながらルヴァは言った。
「そうかしら?
そうだったら光栄ね」
アンジェリークは、ぎこちなく笑った。
「あなたはもっと自分に自信を持っていいと思いますよ」
「ルヴァは優しいわね。
たまにロザリアが女王になったら、と思う時があるの」
アンジェリークは小さくためいきをついた。
長い旅路でようやく見つけた翡翠のような瞳に陰が落ちる。
「でも、そうはならなかった。
奇跡です」
ルヴァは紅茶を飲む。
何度でもくりかえされる問答でも、自分は言い続けるだろう。
アンジェリークが女王になって良かった、と。
「せっかくの誕生日なのに、ごめんなさい」
少女のカップに滴が落ちた。
それを見て見ぬ振りするぐらいには、ルヴァも在位歴が長い。
ゆっくりと紅茶を楽しむ。
薔薇が咲き誇るガーデンに小粒の雨が降りだした。
ああ、ティア・レインだ。
聖地の天気は予報ではない。
決定だ。
それを覆すのは女王の感情だった。
女王の涙が聖地に雨を降らす。
虹が見られればいい、とルヴァはぼんやりと思った。
今年の七月十二日も特別な日になった。