ささやかな幸せ

「ルヴァ。そのお茶を捨てる覚悟はあるんだろうな」
 客人はノックもせずに乱入してきた。
 炎の守護聖は大またにつかつかと歩いてくる。
「オスカー。
 藪から棒に何ですかー」
 書類整理の合間のお茶を楽しんでいたルヴァは眉をひそめた。
「手の内にあるささやかな幸せを捨てる覚悟があるかどうか、俺は訊いているんだ。
 今日がどんな日か、知っているはずだ」
 オスカーに言われなくても知っている。
 女王試験最終日だ。
 昨夜、遅くようやく女王を選出できた。
 試験はギリギリまでかかったが、その分、良い経験をしたと思っている。
「今日で最後なんだ。
 言わないつもりか?」
「あー、その話ですかー」
 自分が女王候補の片割れに好意を寄せていることは周知の事実のようだった。
 誰かに話したことはないのだけれども。
「あの人の傍にいて、力を貸せるだけで至福ですよー」
 ルヴァは茶碗に視線を落とす。
 オスカーの言う『手の内にあるささやかな幸せ』だ。
 思いを伝えてしまえば、二人の関係はゆがむ。
 どんな答えであれ女王候補生と守護聖という関係だけではなくなる。
「伝えなけれりゃ、意味がないと俺は思うぜ。
 お嬢ちゃんにもあなたにも」
 オスカーはなおも言うと、ルヴァの手を掴んだ。
 引っ張ってでもアンジェリークの元へ連れて行く気らしい。
 ルヴァは茶碗を執務机の上に置いた。
 ためいきを一つつく。

   ◇◆◇◆◇

 同じように連れて来られたと思われるアンジェリークと出合ったのは森の湖だった。
 少女の隣にはロザリアがいて、何か小声で話していた。
 アンジェリークは落ち着きがなく、滝に視線を投げたり、ロザリアを見たりと気もそぞろといったところだった。
 ルヴァとオスカーが来ると、ロザリアはアンジェリークの背中を軽く叩いて
「そろそろ失礼させていただきますわ」
 と言った。
「俺の用件もここまでだ」
 オスカーが言った。
「後は二人で答えを出すんだな。
 ロザリア、送っていくぜ」
「ありがとうございます」
 青い瞳の女王候補は優雅に礼をし、騎士に手を差し伸べた。
 二人きりにされてしまった。
 こうなることは簡単に予想できたが、予想と現実は違う。
「あー、あのですね」
 ルヴァは沈黙を作らないために口を開く。
「今日で試験は終わりですねー」
「はい」
 アンジェリークは緊張した面持ちでうなずいた。
 笑顔が見たい、とルヴァは思った。
 青ざめた顔を見て、無性に少女の笑顔が見たいと思った。
「あなただったら立派に勤めを果たせるでしょう。
 私も微力ながら協力いたします。
 あなたの力で宇宙は、どう変わるんでしょうか?
 きっと毎日がドキドキするような日々なんでしょうね」
 ルヴァは言葉を重ねる。
「そんなにドキドキさせていましたか、私」
 少女はルヴァを見た。
「良い経験でしたよ。
 自分の思い通りにならないことがあるということは」
「迷惑でしたか?」
 ささやくようにアンジェリークは尋ねる。
「いいえ。
 その迷惑さを含めて、楽しかったです」
 ルヴァは微笑んだ。
 釣られるように淡く少女は笑った。
「実はルヴァ様が来たら、言おうと思ったことがあったんです」
 少女は湖に視線を投げる。
「でも、こうしてルヴァ様とお話していたらどうでも良くなってきました。
 ルヴァ様」
 アンジェリークは体ごと向き直る。
 金色の髪がふわりと揺れる。
 太陽の光を受けて、それはきらきらと輝く。
「私は明日、女王になります」
 決意を語る緑の瞳は魅力的だった。
「はい」
 青年はうなずいた。
「ルヴァ様、私は立派な女王になれるでしょうか?」
「あなたの努力次第です。
 きっと歴史に名を残す女王になるでしょう。
 協力は惜しみません」
「ありがとうございます」
 少女はニコッと笑った。
 ルヴァが見たかった笑顔だった。
「守護聖としての忠誠だけではなく、受け取って欲しいものがあるのです。
 以前、故郷の習慣を話しました。
 覚えていますかー?」
 ルヴァはターバンを外す。
 初めて異性の前で外すのは勇気がいることだった。
 はず。なのに、自然とターバンを外せた。
 気持ちがターバンのようにゆるゆると解れていく。
「愛しています、アンジェリーク」
 ささやかな幸せを投げ捨てて、ルヴァは言った。
 アンジェリークは大きな目をさらに大きくする。
「ルヴァ様」
 少女は青年に抱きついた。
「ありがとうございます。
 これで、私、立派な女王になれると思います。
 本当にありがとうございます」
 声には涙が混じっていた。
 ルヴァは抱きとめた少女の背中を優しく叩く。


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