しおり

 全てが安らぎに包まれる時間。
 宇宙の女王の部屋には、まだ明かりがともされていた。
 金の髪の女王は、この部屋につりあいの取れた華奢な脚のテーブルの上に、本を載せる。
 落ち着いた赤の装丁の厚みのある本と羽ペンと、インク。
「書かなきゃね」
 アンジェリークは本を開く。
 真っ白なページがさっと現れたのは、挟み込まれていたしおりのおかげだ。
 少女は羽ペンの先にインクをつけ、本に書き込む。
 今日の天気から始まって、ささいな出来事、思ったこと、感じたことを、気の向くままに書きつける。
 そう、これは日記帳なのだ。

 アンジェリークが毎日日記をつけるようになったのは、女王試験の賜物と言うしかなかった。
 初めて目にする知識の前で、彼女は頼りなく浮かぶ小船。
 毎日起きる事柄を、育成のための最低限の法則を書きとめなければならなかった。
 そうしなければ、重要なことでも忘れてしまう。
 次から次へと、新しいことは起きる。
 知らない、ですますことはできなかった。
 育成のため、試験のため。
 アンジェリークは必死に日記をつけた。

 しかし、一度身についてしまった習慣とは恐ろしいもの。
 無事に試験が終了した今も、毎日日記をつけている。
 夜、眠る前のほんのひととき。
 完全に一人きりになれるこの時間。
 昔は使い方のわからなかった羽ペンで、毎日を記録する。
「ん、今日はこれでおしまい」
 アンジェリークはポンッと羽ペンを、机の上に置いた。
 その顔には満足そうな微笑みが浮かんでいた。



 まだ、何の悲しみも知らなかった頃。
 通いなれた地の守護聖の執務室、あたたかな笑顔で
「あー。
 あなたに受け取ってもらいたいものがあるんですよー」
 ルヴァは言った。
「はい!」
 アンジェリークは元気良く返事をする。
「えー。
 これ、なんですよー」
 青年は机に引き出しからしおりを取り出した。
 淡い緑の透かしが繊細で、美しいしおりだった。
「本を読むのは好きですかー?」
「はい」
「うんうん。
 本にはたくさんの想いが詰まっています。
 それにふれるのは、とても勉強になりますねー」
「え、ルヴァさまでも勉強するんですか!?」
 緑の瞳を丸くして、少女は青年の顔を注視する。
 目の前に立つ男性は、地の守護聖。
 知識と知恵を司る。
 守護聖一の博識で名高い。
 そんな人物が勉強するなんて、少女には信じられなかった。

「えー、そうですよー。
 この宇宙には私の知らないことが、まだまだたくさんあります。
 常に勉強中ですよー。
 あなたと一緒ですね」
 気を悪くすることなく、ルヴァは続ける。
「あー、話がそれてしまいましたねー。
 これをあなたに」
 ルヴァはしおりを差し出す。
「ありがとうございます、ルヴァさま!」
 アンジェリークはニコッと笑う。
「あなたが辛く悲しい思いをして立ち止まるとき。
 いつでも物語の続きを始められるように」
 ルヴァは祈るようにつぶやいた。
 少女は不思議そうに、しおりと青年を見比べる。
「何でもありません」
 ブルーグレーの瞳を細めて、ルヴァは言った。



 それから、色々な出来事があった。
 短い間に、様々なことが起きた。
 辛かったこともある。
 悲しいこともあった。
 立ち止まりそうになるときもあった。
 その度、アンジェリークは日記帳を開いた。
 しおりがはさんである日記帳を。
 物語の続きを始めるために。


アンジェリークTOPへ戻る