太陽が沈み、窓からは星の光が滑りこむ頃。
執務の時間は終わりだったが、男性は端末に向かいあっていた。
室内はタイピングする音と機械たちの重低音以外を拒絶していた。
鋼の守護聖らしい執務室だった。
チタンフレームの奥の瞳は、モニターを注視していた。
数度瞬きをすると、キーボードを打つ手を止める。
今日はこの辺りで区切りにしようか、とエルンストは息を吐き出した。
時間は有限だが、残された時間を数えるほど短くはない。
それが守護聖になってから利点の一つだった。
テーブルの隅でぬるくなったコーヒーに手を伸ばす。
静かな空間はセンチメタリズムを呼び起こす。
ここにはいない少女のことを思い出させる。
少女と男性は、ずっと平行線を歩んでいるのだと思っていた。
近くて遠い。
離れているようで、寄り添いあっている。
時たま交差する道に運命と名付けるのは、いささか感傷的だろうか。
突然、少女は現れてエルンストを途惑わせる。
気がつけば少女に連れられて、トラブルのど真ん中にいることもある。
神様が決めた運命だと思わなければ、乗り切ることが不可能な交差ばかりだった。
今度の交差はいつもよりも長いようだ。
鋼の守護聖となり、聖獣の宇宙への貢献を求められる。
始まりの色だと思った瞳と同じ物を見る。
それは退屈しない日々だろう。
少女と離れた三年間という時間は、エルンストに変化をもたらした。
前回の交差で永遠の別れだと思っていたから、時間は遅々として進んでいくように感じた。
もう二度と少女に振り回されることはないのだ。
そのことを厄介だと感じていたはずなのに、胸に穴が開いたような気がした。
望んでいた自由を手に入れたはずなのに、衝撃を受けた。
少女の明るい声も、すべて過去へと押しやられる。
それが辛かった。
研究に打ちこむことで毎日をやり過ごしていた。
けれども、再び道は交差した。
また少女と一緒の時間軸の中で生きる。
僥倖にエルンストの心臓は高鳴った。
共に歩める、ということが嬉しかった。
宇宙を眺めるように、少女を観ることができる。
またいつか別れの日がくるだろうが、その別離に備えることができる。
それほどの猶予に、エルンストは感謝した。
たぶん、最後の交差だ。
全部を脳裏に灼きつけておきたい。
三年前に感じた後悔をくりかえさないために。
エルンストの思考を止めるように、ノックの音がした。
執務の時間はとっくのとうに終わっている。
私的な研究のために残っていたからいいものの、訪問者は空室だったらどうするつもりだったのだろうか。
返事を待つことなく、ドアノブが回って、少女が飛びこんできた。
執務服ではなく、街を歩くような恰好をしていた。
手には紙袋。
「お誕生日、おめでとう!」
レイチェルは言った。
今日、何度か聞いたフレーズだった。
「ありがとうございます」
エルンストは礼儀上、答える。
今夜は女王陛下の名の下に晩餐会が開かれる予定だ。
執務との空き時間、私邸に戻るのも面倒だと思い執務室にいた。
「はい、差し入れ」
レイチェルはエルンストに紙袋を押しつける。
コーヒーカップをテーブルに置くと、中を改める。
栄養補助食品と無塩のトマトジュースだった。
「もっとプレゼントらしいものを好物にして欲しいよ」
少女は愚痴る。
「わざわざ買ってきてくださったのですか?」
「仕事の合間にでも食べてよ。
賞味期限はたっぷりあるから」
レイチェルはテーブルの上に腰かける。
「お気遣いありがとうございます」
「チョー優秀な女王補佐官だからね。
誕生日を迎えてどんな気分?」
始まりの空の色の瞳がキラキラと輝いている。
「感慨はないですね。
昨日の続きのようです。
それに誕生日がきたからと言って、歳をとるわけではありません」
「嬉しいの一言が欲しかったんだけど」
「貴方も誕生日を迎えたら、分かりますよ」
エルンストは言った。
老化は緩やかになり、常春の楽園で過ごす日々。
責務をまっとうするために与えられた気の遠くなるような時間。
即位したてのエルンストでも、人ならぬ身になったことがわかる。
「それでも誕生日は嬉しいでしょ」
テーブルから降り、レイチェルはエルンストの正面に回る。
暁色の瞳が男性を見据える。
道が交差するたびに少女は祝ってくれた。
特別な日だという。
「お返しを考えなければなりませんね」
「ワタシの誕生日を盛大に祝ってくれるの?」
「それが貴方の望みならば」
エルンストは微苦笑を浮かべる。
「期待しているよ。
じゃあ、晩餐会で」
そう言い残すと、少女は立ち去った。
来た時と同じように、帰っていく。
今宵の主役は重々しくためいきをついた。
形式ばった食事は時間の無駄と思ってしまう。
しかし、女王陛下が自らが直々に開いてくれるものだ。
無下にはできない。
騒動が起きなければいいが、個性的な面々だ。
難しいだろう。
それすら少女は楽しむのだろう。
想像がつくだけに、気が重くなる。
何事もなく、無事に終わりますように。
誕生日の願いとしては、ささやかなことを鋼の守護聖は思った。