「用事はそれぐらいかな」
女王補佐官は手にしたファイルを確認する。
「了解しました」
鋼の守護聖という肩書きに、ようやく慣れてきた男性はうなずいた。
「あとは……」
ふいにレイチェルは顔を上げた。
かつて暁だと思った瞳は健在だ。
始まりを告げる色は、喜びと幸福を内包していた。
「24日の夜、空けといてね! お祝いするんだから」
レイチェルの言葉に、エルンストは忘れていたことを思い出す。
もうすぐ「聖なる夜」がある。
「わかりました」
エルンストはうなずいた。
それに、紫の瞳の女王補佐官殿は驚く。
お祝い事に、エルンストが快く参加するとは思っていなかったのだろう。
表情豊かな少女の顔にはそう書いてあった。
「ま、そういうことだから。ヨロシク」
すぐさま唇に笑みを乗せて、永遠の少女は走り出した。
背に流れる金の長い髪を見送る。
エルンストは眼鏡のフレームの端をすっと持ち上げ、ズレを直す。
同じ場所に立っている。
何度も、出会いと別れをくりかえして。
これから先も別れを経験する予定はある。
エルンストのサクリアが尽きる日。
女王交代が起き、当代の女王と共にレイチェルが聖地から離れる日。
それが別れとなるだろう。
外界において「歴史」になるほどの先の未来の話だ。
そのことが、不思議に思えた。
◇◆◇◆◇
女王陛下とエトワールも臨席した夕食会は、想像ができる範囲のトラブルが起きたものの、「和やか」と表現できるレベルで、終了した。
鋼の守護聖は大きなストレスを感じることなく、それを楽しんだ。
心境の変化を解析するのは、時間が必要そうだ。とエルンストは思った。
◇◆◇◆◇
夕食会後、24日の夜。
エルンストは約束どおりに、空けておいた。
個人的な研究もやらず、日課も放置して、時間指定した人物を待つ。
おそらく最高級の樹から彫りだされた華美なベンチに、エルンストは腰かけていた。
場所は宮殿の中庭だ。
宇宙をすべる女王陛下の御殿にふさわしく、何もかもが質が良く、古典的だった。
中庭は、エルンストの予測に反して、人通りがない。
他に、聖なる夜にふさわしい場所が存在しているのだろう。
エルンストは、眼鏡越しに星を見上げる。
一段と輝いて見えた。
女王の力が安定している証拠だろう。
待ち人は走ってくる。
エルンストが手にしている小箱とは対照的に、大きな箱を抱えて。
「はい、プレゼント!」
レイチェルは、息を切らせながら言った。
子どもからもらうプレゼントというのは、決まりの悪いものだ。
その逆はあっても良いけれども。
「あなたには必要ないでしょうが」
エルンストは慌てて買い求めたプレゼントを、レイチェルに渡す。
小箱と大箱は交換される。
大きさと中身は反比例しているようだ。
もらったプレゼントは軽かった。
「ありがとう!」
レイチェルは小箱を開ける。
透明な樹脂で固められた正六面体。
中央には白い羽が見える。
少女の手がクルリと面を回す。
羽は雪の結晶の形になる。
「面白いものだね。
エルンストにしては趣味が良いよ」
歯に衣着せぬことをレイチェルは言う。
それを不快に思わないのは、彼女の性格と二人で過ごした時間の長さのためだろう。
「個人的な願い事をしてもかまわない」
エルンストは言った。
女王の黄金の翼とは違うけれど、少女の背にも白い翼はある。
だから、白い羽は必要ないかもしれないけれど。
それを自分の願い事には使わないだろう。
「私はそう考えます」
エルンストは言った。
少女の顔に一瞬、迷いが走る。
「思いついたらね!
ほら、ワタシってチョー優秀だからね!
だいたいの願い事って、自分の力で叶えられちゃう」
自信たっぷりの笑顔でレイチェルは言った。
「ところで、これは開けてもよろしいですか?」
「すぐに元に戻せる自信があるならね」
「……無理そうですね」
過剰ともいえるラッピングだ。
包みを解くのにも、一苦労だろう。
「じゃあ。
聖なる夜を楽しんで!」
普通の、型どおりの挨拶を少女はして、駆け出す。
「ええ、そちらこそ」
だから、エルンストも微笑んで言った。
約束はした。
プレゼントも交換した。
聖なる夜、らしい一日だった。
王立研究院でも似たような経験をしたことはある。
それでも、違和感を覚えた。
エルンストは歩きながら、私邸に戻る。
敷き詰められたレンガ道を歩いて帰っても、答えは出なかった。
誰にも邪魔されない場所である寝室で、エルンストはプレゼントを開ける。
大きな箱の中身を見て、ペールグリーンの瞳は丸くなる。
「これは……」
テディベアが入っていた。
「陛下へのプレゼントと、間違えたわけではない。ようですね」
同封されていたメッセージカードには『エルンストへ』と印字されている。
見慣れたフォントが使われていた。
エルンストは大きく息を吐き出した。
少女流の皮肉の利いたプレゼントなのか。
それとも、これは素直に選んだ結果なのか。
どちらにしろ、困る贈り物だった。
エルンストの記憶に明確に刻みこまれる。
二度と忘れられないようなプレゼントだった。
「永遠というものは、やはり良いものではないようですね」
守護聖となった男性は苦笑した。
自分にとっての三年間は短いものではなかった。
暁の瞳を持つ天使には、一瞬だった。
少女は、年頃の子どもらしいことをせずに研究員となり、そのまま女王補佐官になった。
任期を終えるときまで、……永遠は続く。
今日ぐらいは、宇宙の「神」とまで呼ばれる守護聖としてではなく。
たった一人の幸福を願っても良いだろうか。
宇宙のためではなく、ただ一人だけを。
守護聖ではなく、一人の人間として。
願う。
エルンストは、自分の名前がタイプされたメッセージカードを見つめた。