12月30日

 今年も残すところ後二日という日だった。
 日はどっぷりと暮れ、空には銀の星たちが姿を現していた。
 星の並びはさまざまだが、どの空であっても美しさは変わらない。
 真っ直ぐ私邸に戻るのが惜しく、鋼の守護聖は王立研究院まで足を運んだ。
 夜空を背景にそびえたつ研究院は、昼よりも白く、輝いて見える。
 星と同じだ。
 昼は強すぎる恒星の光線で煌きを覆い隠されてしまう。
 太陽が沈み、研究院は本来の姿を取り戻すのだ。
 宇宙を絶えず観測する研究院には、夜が似合っている。
 エルンストは感慨深く白い塔を見上げる。
 自分は変わってしまった、と青年は結論を出した。
 昔の自分であれば研究院を外から眺めて、考え込むことなどなかっただろう。
 不変のものがあるからこそ、対照することができた。
 明日の自分は、ここに立っていないだろう。
 目もくらむような贅沢な空間に、意義を見出すのが困難な時間を過ごしているだろう。
 無駄と考えるほど愚かではないつもりだが、楽しめるかというと、また別の問題だった。
「エルンスト!」
 明朗な声に名前を呼ばれ、思考を中断する。
 エルンストは、眼鏡の金属フレームを押し上げて、入り口から出てくる人物を見やる。
 青みのある人工光が豊かな金の髪を縁取った。
 かつて、女王の翼とはこのようなものだろうか、と思ったものだ。
 女王が持つ翼は、このように儚いものではないと今のエルンストは知っている。
 増えた知識は、エルンストの中の囚われを拭った。
「こんな日まで研究院?」
 紫の瞳の女王補佐官は悪戯っぽく微笑んだ。
 見るからに大荷物といったファイルの山を細い腕が抱え込んでいた。
「そんなあなたは仕事中ですか?」
「うん。
 それも、もう終わり」
 一回り以上年の離れた少女は、疲労など見せずに笑う。
「新しい年は、真っ白にスタートしたいでしょ。
 それに、明日はカウントダウン・パーティだし。
 ちゃんと出席してよね、鋼の守護聖サマ!」
「女王陛下の願いとあらば……と言ったところでしょうか。
 私の柄ではありませんね」
 こういった歯が浮くようなセリフは、適任者がいるはずだ。
 栗色の髪の女王を戴くのに不満はない。
 陛下と仰ぐのも苦痛ではない。
 ただ、そぐわないと感じるのだ。
 エルンストは微苦笑した。
「そう? 似合ってるよ。
 それよりも、エルンスト。
 時間ある?」
 エルンストの晴れないわだかまりを一刀両断して、レイチェルは尋ねる。
 確認といったほうが近いかもしれない。
「ちょっと、執務室まで来て欲しいんだけど」
 断られることなど思ってもみない口調だった。
「いいですよ」
 エルンストは細い腕からファイルを取り上げた。
 半分だけ。
「気が利いてるじゃん」
「おかげさまで」

   ◇◆◇◆◇

 女王補佐官の執務室は機能性と少女らしさが同居していた。
 客を招き、くつろいでもらうという面では及第点だ。
 ファイルが積み上げられ、コンピュータの端末が置かれた執務机は、研究院を思い出させる。
「はい」
 レイチェルは、机の引き出しから一通の封書を取り出した。
「誕生日プレゼント。
 一番目には渡せないってことはわかってたし。
 朝から忙しかったからね。
 じゃあ、最後のほうが目立つかなって」
 本当は私邸に押しかけるつもりだった、と少女は笑う。
「ありがとうございます」
 封書を受け取り、エルンストは言った。
 目立つということが重要だとは知らなかった。
 守護聖に就任したということもあって、朝から届いた贈り物は積み上げると山のようになった。
 が、エルンストは品物と送り主の名前は完全に把握している。
 誰がどの順番で、どのように持ってきたか。
 頭の中で整理整頓されている。
 忘れることはない。
 エルンストは、目立つ必要性というものを考察しながら
「開けてもよろしいですか?」
 誕生日プレゼントをもらったときのマナーとして尋ねた。
「もちろん。
 今すぐ、開けて」
 ニッコリとレイチェルは笑う。
 クリームがかった白い封筒の表には、飾り文字。
 封の部分は黄金の聖獣の印。
 見覚えのある封筒から、見覚えのあるカードが出てくる。
 カウントダウン・パーティの招待状だ。
 格式にのっとりタイプされた文面の下に、書きつけがあった。
 眼鏡の奥の瞳がそこを三度も読み返す。
 聖地では、よくあることなのかもしれない。
 格の高いパーティに女性ひとりでやってくるのは、マナー違反だと聞く。
「口頭のほうが早いですよ」
 エルンストはカードを封筒に戻す。
「聖地らしいでしょ」
 面白がるような、同意を求めるような少女は言う。
 どこにいても、状況を楽しむために最大限の努力をするタイプであった。と、青年は再確認する。
「あなたの恋人役とは光栄ですね」
 変わった誕生日プレゼントだと思いながら、エルンストは言った。
「ワタシよりも顔が良かったり、目立っちゃうタイプは最悪だからね」
「なるほど。
 うってつけ、ということですね」
 青年は微笑んだ。
 明日のこの時間。
 エルンストは思い悩んだり、考え事に囚われたりはしないだろう。
 目の前の少女がそれを許してはくれないはずだ。
 一年を振り返る暇など与えられずに、高揚した気分のまま新しい年を迎えることになるのだろう。
 自分の存在を命題にすえて思考をめぐらせるよりも。
 周囲との差に、埋められない溝を見つけだすよりも。
 それは気持ちの良いスタートの切り方だろう。
「ありがとうございます」
 エルンストは風変わりなプレゼントに礼を言う。
「どういたしまして」
 得意げにレイチェルは笑った。


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