自慢の花


 それがすごーく見たかったわけじゃない。
 最初はどうでも良かった。
 でも、その人がとても嬉しそうに話すから、うなずいた。
 その声をもっと聞いていたかったから。
 何より、その人が大好きだから。
 大好きな人のその笑顔をいっぱい見たかったから。
 それだけのために、話を聞いていた。
 大きな江を下っていくその最中。
 強い風が吹いて、ときどきその人の長い髪をさらっていく。
 その人が自慢する花を見てみたい、と思うようになっていた。
 とても美しい、とその人が言う。
 その家の庭に咲く花を見たい、と思った。

 そして、船旅が終わるとき。
 その花が見たい、と言った。

 そうしたら、その人は残念そうに笑った。
「花の時期は終わってしまって、今年はもう見れない」
と、言った。
 だから、
「来年のその花が見たいの。
 それまで、一緒にいたらダメ?」
って、訊いた。
 その人は、やっぱり困ったように笑った。



 小喬は来た道を引き返す。
 毎日、周瑜の書斎の前まで行って、何も言えずに院子に出る。
 今朝も小喬は言い出せなかった。
 周瑜がとても忙しくなってしまったからだ。
 ほんの少し前までは、院子を散歩する余裕ぐらいはあったのだ。
 それが、難しい顔をして書斎にこもる日が増えてきた。
 理由は知っている。

 小喬は顔を上げた。
 そこには、ほころび始めた白い花があった。
 周瑜ご自慢のその花は、柔らかな花弁を持っていて、風にも耐えぬ風情という優美な花。
 蕾のときは真っ白で、咲き初めは薄黄色、完全に花が開いたときには薄紅で、しぼむときには紅になると言う一風変わった花だった。
「ねえ、周瑜さま。
 お花咲いたよ」
 小喬は言えなかった言葉をつぶやいた。
 そうしてみても、何の解決にならないことぐらいわかっていた。
「このお花みたいに、あたしも忘れられちゃうのかな?」
 若いというよりも、幼い少女は泣き出しそうな瞳でささやいた。

 ほんの少し前までは、楽しかった。
 忙しくても、あんなふうには忙しくなかった。
 「忙しい」は心をなくすって、本当なんだ。
 戦なんて、大ッキライ!

 薄紅の花が咲き始めた木の下で、小喬は口を引き結んだ。



 時間は目に見える形で流れていく。
 緑の葉陰で紅の花を見つけては、小喬はためいきをついた。
 この調子では、すべての花が紅になってしまう。
 でも、忙しい周瑜は気がつかない。
 小喬は院子で深々と息を吐き出した。

 こうしていても、全然意味がない。
 今日こそ散歩に誘う!
 もう一回、周瑜さまのトコに行くんだからっ!

 小喬は小さく握り拳をつくって誓った。
 即断実行、と言わんばかりに小喬は踵を返す。
 ちょっと勢いがつきすぎて、少女は転びそうになった。
 危ない、と思うよりも先に。

 ふわり、と。
 体が浮く。
 しっかりとした腕に支えられた。
 少女は大きな瞳をぱちくりとさせる。

「周瑜さま!」
 その声は驚きと喜びに彩られた。
「大丈夫か、小喬」
 青年は微笑んだ。
「周瑜さまだ、周瑜さまだ!
 お仕事は、もう良いの!?」
 小喬は周瑜に抱きついて尋ねる。
「終わりではないが。
 一段落した。
 それよりも、小喬の方が気になった。
 最近、塞ぎこんでいるようだから」
「ううん!
 もう、元気だよ!!」
「そうみたいだな」
 周瑜は微苦笑した。

「あのね、周瑜さま!
 見て見て!
 あのお花がね。
 お花がね。
 咲いたんだよ!!」
 小喬は嬉しくて、まくしたてる。
「覚えていてくれたのか?」
「当ったり前だよ。
 大っ好きな周瑜さまが教えてくれたんだもん!」
 少女は自慢げに言った。
「そうか」
 青年は目を細め、少女の体をそっと抱きしめた。
「お花、すっごくキレイだね」
 小喬はニコニコと言った。
「ああ、そうだな」
 周瑜はうなずいた。


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