戦場の花薔薇


 変わった女だと思った。
 外見はこの上なく美しい。
 女であれば、必要と思われるおおよその資質を兼ね備えていた。
 罪を犯した天女が地上に落とされた。
 過言ではないほど、美しい女だった。
 けれども、天帝は一つだけこの女の欠点を造った。
 画竜点睛を欠く。
 いや、だからこそ、この女はより美しいのかもしれない。
 不安定なものは、見るものに強い印象を押しつける。
 



 此度の戦の総大将――曹子桓は、本陣で参謀――司馬仲達から報告を受けていた。
「甄姫さまですが」
 参謀は黒い羽扇をゆらりと扇ぎながら、意味深な視線を投げてよこす。
 闇が凝ったような昏い双眸がくすりと笑っているように思えた。
 歳若い魏王は、言葉を切った参謀に目線だけで、続きを促す。
「ご活躍のようです」
 仲達は言った。
 それはそうだろう、と子桓は思った。
 妻は、女にしておくのが惜しいほどの武を見せる。
 室に押し込めておくよりも、戦場に立っている方が似つかわしい。
 その美しさが際立って見えるのだ。
 始めは天下の美女を手に入れたと悦んだものの、三日で飽きた。
 子桓が飽きたのではない、妻である甄姫が贅沢に飽きたのだ。
 戦場に立つことを望んだのだ。
 着飾って、見せびらかしたいと思わなくもないが、思う通りにはならぬ女だ。
 根気比べは、子桓の方が負けた。

「我が軍は優勢か?」
 子桓は確認した。
「もちろんです。
 我が軍の布陣にぬかりはありません。
 あと五日もあれば、凱旋できます」
 仲達は自信を持って断言した。

 勝利が確信的で嬉しいのだろう、神経質な男は細い瞳を最大限に大きく開いて言う。
 策士、策に溺れる……、そうならないことを願うばかりだが、難しそうだ。
 この男は、黒くくすぶる野心を抱えている。
 こんなところで終わるのを納得していない。
 父も難儀な人物ばかりを遺してくれたものだ。
 役に立ちそうな人材は、短慮ゆえに多く失われた。
 過去は振り返っても意味がないが、轍を踏まぬように気をつけなければならるまいな。
 子桓は皮肉げに笑う。

「では、私がいなくても平気だな」
 子桓は立ち上がった。
「どちらへ、行かれるおつもりですか?」
 心なしか仲達の声が上擦っている。
 焦っているようだな、面白い。
「私がいなくても、いても同じことだろう。
 指揮は任せた」
 子桓は外套を羽織りなおす。
「殿!?」
 白々しい言葉が漏れる。
 敬意を持ったことがこの不遜な男にあるのだろうか。
 なさそうだ、子桓は断じた。
「本陣で大人しくしているのも退屈だ。
 たまには良き夫とやらを演じて見るのも良かろう」
 子桓はそう言うと、愛馬にまたがった。
 驚く参謀を置いて、坂を下る。



 花はどこで愛でても同じだと思っていた。
 どれも同じで、その美しさは変わらないと、思っていた。
 しかし、あの花は違う。
 戦場にいるからこそ、輝いている。
 咲き誇っているのだ。
 子桓の登場に、敵軍の兵士は及び腰になっていた。
 総大将が駆け抜けてくるとは、誰も思うまい。
 離散しかけている敵軍を切り裂き、坂を下る。
 敵軍と自軍が乱戦状態になっている最前線。
 子桓はこの世で最も美しい花を見つける。
 まるで舞を舞うかのように、敵を屠っていく。
 築き上げられるのは屍。
 その音色は死の調べ。
 花がこちらに気がつき、目を見張る。

「このような場所にいらっしゃるなんて。
 本陣はどうなさいましたの?」
 甄姫はそれでも笑みを浮かべた。
「守るだけなら、仲達一人でもできよう」
 矛を振りかぶる敵兵を『滅奏』と銘を持つ双刃剣で一薙ぎにして、子桓は言った。
「あなたは総大将ですのよ」
 呆れたように甄姫は言った。
「そなたはその妻だ」
 軽口の間にも敵は容赦なく襲い掛かってくる。
 甄姫は鉄笛で相手をねじ伏せた。
 本当に怖ろしい女だ。
 妻と言うよりは、己の懐刀。
 絶対に裏切らない忠臣だ。
「花を愛でることぐらいかまわぬだろう。
 戦場でしか咲かぬ、稀有な花が目の前にあるのだからな」
 子桓は薄く笑った。
「普段の私は、美しくありませんの?」
 花は挑戦的な笑みを零す。
 それに子桓はあえて答えなかった。


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