10.お嫁さん


「願い事ですか?」
 元・司馬懿の護衛武将は、鸚鵡返しに言った。
 失礼どころか非礼なのだが、それを咎めるような人間はこの部屋にいなかった。
 あまり大きな声では言えないのだが、この朝廷の中にはいないかもしれない。
 身分で人間性まで決まるか……いや、上と下の垣根が低く、実に親密な人間関係が築ける理想的な国なのだ。
「もうすぐ『くりすます』という祝いがある」
 色とりどりのコマをいじりながら、青年は言った。
 弾棊用とは思えない貴石たちだ。
 完全に馬の骨の少女は『売ったら高そう』と、性懲りもなく考えていたりした。
「『くりすます』には奇跡が起きて、どんな願いも叶うそうだ」
 何かと混同したとしか思えないようなことを曹魏の皇帝は言った。
「すごいですね!
 私は美味しいものが食べられる日だって聞きました」
 は、すべすべとした弾棊のコマをさわる。
 弾くのがもったいないほど綺麗なコマは、少女の持ち駒だった。
 友だ……いや、手の空いている配下がいなかった皇帝は、暇そうに回廊を歩いていた少女を部屋に連れ込んだのである。
 あの司馬懿の唯一の護衛武将として、――司馬懿にしては――長きに渡り仕えていた。
 というぐらいしか取り柄のない娘だった。
 が。
 何をとち狂ったのか、どこをどう間違えたのか。
 あるいは罪滅ぼしの意味がこもっていたのか。
 貧相な少女は司馬懿に求婚されたのだった。
 断る権利というものもあったのかも知れないが、そんなことを思いつくほど賢くない少女は、もちろんのこと承諾してしまい、現在に至る。
 つまり、司馬懿の婚約者だった。
 それを曹丕が部屋に引き入れたのだ。
 私室。
 しかも、完全に人払いがされており、……二人きり。
 たぶん問題はない。
 美貌の皇后が華麗な蹴り技を見せてくれるかもしれないが。
 麗しい脚を味わうのは皇帝だけだろう、……残念、いや、そういうこともあると断言できた。
「私は皇帝だからな。
 どんな願いも叶えてやろう!」
 曹丕は尊大に言った。
「……」
 は小首をかしげ、考えこむ。
 腐っても鯛。
 高級魚は腐っていたって、どんな状態であっても、たとえ食べるという実用的な行動ができなくっても、『高い』ってだけで価値があるんだよ、という見本。
 目の前の男性は間違いなく、曹魏の皇帝だ。
 ただの遊び道具に宝石を使うほどの財力を持っている。
 言葉通り、『どんな願い』も叶えることが……できるかもしれない。
 黒髪の少女はニコッと笑うと、首を横に振った。
「もうすぐ司馬懿様が――」
 が言い終わる前に、扉が乱暴な音を立て開いた。
「こんなところにいたんですか!?」
 部屋に乱入した人物が、ぷるぷると肩を震わせたのは、怒鳴ったからではない。
 それもあるだろうが、ここまで急ぎ足で来たからだ。
 簡単にいうと『運動不足』である。
 己の主君と婚約者が、密室にいたからでもない。
 不思議なことに。
「仕事をしてください!」
 司馬懿は、弾棊の盤を強引に取り上げた。
 自分が動くよりも、他人を動かすことが多い青年が、である。
 本当に切羽詰っているようだった。
 年末進行、仕事納めという単語は、どこにでも通用する共通言語なのだろう。
「さすが、仲達の元護衛武将だな。
 気配すらなかったのに、よく気がついたな」
 曹丕は感心した。
「へ?
 あ、違いますよ。殿。
 私の願い事は、もうすぐ司馬懿様が叶えてくれるって言おうとしていたんです」
 は言った。
「そうなのか?」
 曹丕は司馬懿に尋ねた。
「何の話をしているんですか?」
 苛々しながら青年は言った。
「『くりすます』の話だ。
 奇跡が起きるそうだ」
「なるほど。
 では、死んだ人間も生き返ってくるかもしれませんね」
 嫌味を捻じこみながら、司馬懿は言う。
「それは困る」
 真顔で曹魏の皇帝は言った。
 生き返って欲しくない人間が一人や二人どころか、数十人はいる。
 無論、その中には父親の名前が入っているのは、お約束事項というものである。
「良いですね!」
 は無邪気に笑った。
 司馬懿は婚約者に顔を見、それから
「殿。仕事をしてください!」
 早口で言った。
「それで、仲達の元・護衛武将よ。
 どんな願いを叶えてもらうのだ?」
 司馬懿を軽く無視って、曹丕は問う。
「殿がいくらお金持ちでも、権力者でも無理ですよ〜。
 司馬懿様じゃなきゃ、叶えられません」
 は弾棊のコマを曹丕に返すと、言った。
 そして、かつての上官を見上げる。
 皇帝が特注した弾棊のコマよりも綺麗なそれを見る。
 琥珀のような色をした瞳。
 真冬に見上げる太陽と同じあたたかさとやさしさを持つ目を。
 は見つけて、笑った。
 不幸せな人間には決して浮かべられない、極上の笑顔。
「そうか」
 しつこいを通り越して、うんざりするほど執念深い皇帝は、あっさりと納得した。
 対照的に、司馬懿は眉をひそめた。
「どんな願いだ?」
 青年は尋ねた。
「もうすぐ叶います」
 司馬懿様が叶えてくれるんです。とは言った。


 願い事は、みな叶えてくれる。
 残らず叶えてくれる。
 の口にしない願いも、全部。
 全部、司馬懿は叶えてくれるのだ。


 は、もうすぐ大好きな人のお嫁さんになる――。

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