05.負けない


「司馬懿様、幸せってどんな形をしていると思いますか?」

 唐突な質問だった。
 竹簡から顔を上げれば、クリッとした黒い瞳が間近にあった。
 屈託のなさは美点かもしれないが、警戒心のなさは欠点だった。
「非現実的だな」
 司馬懿は断言した。
「そんなこと言わないでくださいよぉ。
 そこで話が終わっちゃうじゃありませんか〜」
 護衛武将のは童女のように唇をとがらせる。
「望むところだな」
 司馬懿は鼻で笑う。
「冷たいです」
「それ以外の何ものでもないな」
 青年は視線を竹簡に戻す。
 今日中に終わらせなければならない仕事だ。
 少女のお喋りに付き合っていては日が暮れてしまう。
 そんな暇はない。
「……、すみません」
 無駄に明るい声が、沈む。
「何だ?」
 違和感を覚えて、司馬懿はを見る。
 小柄な少女はぽつんとそこにいた。
 その表情は常とは違い、真剣だった。

「司馬懿様、冷たい人じゃないと思うんです」
 はサラッと言った。

 今まで、誰も言わなかったことを、ごく自然に言った。
 竹簡を持つ手がかすかに震える。
「思うのは自由だが、押しつけるとなると違うな」
 司馬懿は一呼吸してから、言った。
「私は司馬懿様が大好きなんです」
 は言った。
 お日さまが好きだ、という声と同じ声で。
 晴れた日は気持ちがはずむと言った声で。
 変哲もないことを語るように言う。

「だから、司馬懿様って、あったかいと思います」
 これから先、誰も言わないようなことを言う。

「理由になっていないな」
 司馬懿は複雑な気分を味わう。
 単に嬉しいだけではない、ほろ苦いやさしさだった。
 やがて来る別れを予感しながらも、期待をする。
「そうですか?
 私には十分な理由なんですけど」
 は言った。
 近い将来、戦は終わり、護衛武将は必要なくなる。
 そのとき自分は、我慢ができるのだろうか。
 別離に耐え切れるのだろうか。
 司馬懿はためいきをついた。

「それで、話の続きなんですけど。
 幸せってどんな形をしていると思いますか?」
「観念的なものが形を持つわけがなかろう」
 司馬懿は言った。
 少女と話していると、とっくの昔に捨ててしまったものを思い出す。
「想像してみてください」
「時間の無駄だ」
「ちょっと、びっくりしちゃいますよ。
 私もすごく意外でしたから。
 司馬懿様、聞きたくありません?」
「思わないな」
「ここは嘘でも聞きたい、って言うシーンですよ」
「命令される筋合いはない」
「命令なんてしてませんよー。
 イヤだなぁ」
 はクスクスと笑う。

「それで、幸せとはどんな形をしているんだ?」

「えへへ。
 私にとって、ですよ。
 すごく意外なんですけど、いっぱいびっくりしちゃいますけど。
 でも、とても当たり前なんですよ」
 自慢するように少女は言う。
 それに司馬懿は軽い苛立ちを覚える。
「前置きが長い」

「私にとっての幸せは、司馬懿様そのものなんです」
 は言った。
 幸せそうに綺麗に笑う。
 まるで、夏の太陽のようにお節介なまでに明るい笑顔だった。

「くだらぬ」
「えー、どうしてですか!?」
「ずいぶんと変な形をしているのだな」
「そうですか?
 まあ、そうですけど。
 色々考えて、やっぱりそうなんですよ」
 意味不明なことをは言った。
「その論理でいけば、私の幸せは……。
 お前だ……と、でも言うと思ったのか?」
「違うんですか?」
 不満そうな顔つきで少女は言った。
「そんなはずないだろう」
「ショックですぅ。
 言ってもらえると思ってたのにぃ!」
 は小さく握りこぶしをつくる。
「負けません!
 絶対に、司馬懿様に言わせてみせます」
 並外れて前向きな精神の持ち主だ。
 めげずには言い切った。
「やはり、時間の無駄だったな」
 司馬懿は竹簡を広げる。
 少女と話していると、調子が狂う。
「これからの方針にするんで教えてください。
 司馬懿様の幸せって、どんな形をしてるんですか?」
「さあな」
「私ばっかりしゃべって、言わないなんてズルイです!」
「勝手にお前が話し出したのだろうが」
「そうかもしれませんが、不公平です」
「いつから公平な立場になった?」
「うっ。
 絶対に、負けません!!」
 少女は宣言した。



 幸せの形。
 もし、幸せに形があるのなら、それは太陽の光に似ているだろう。
 陽に向かって咲く花に似ているだろう。
 嫌になるくらい明るいあの夏のような。
 それはきっと……。

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お題配布元:お題場