04.偉い人


 私には好きな人がいます。
 その人は、とっても偉い人です。



 冬も間近な秋の昼下がり。
 春を思い起こさせるようなやさしげな陽だまりの中、一人の少女と一人の青年が日向ぼっこしていた。
 二人の間には、弾棊のコマ。
 遊戯のコマにするには惜しいほどの輝石たちが蜜色の光の中でさざめいていた。
「司馬懿様は、偉いんですよ!」
 明るく断言するのは、司馬懿の護衛武将・だった。
「私の方が仲達よりも偉いぞ」
 そう真剣に言ったのは曹魏の皇帝・曹丕だった。
 身分違いもはなはだしい二人だったが、おはじき仲間である。
 趣味は、立場という深い海溝の架け橋になったりもするのだった。
「身分のことじゃありませんよー!」
「では、何だ?」
 曹丕は尋ねた。
「司馬懿様は、一生懸命なんです。
 とっても、頑張っています。
 だから、偉いんです」
 まるで自分のことのように少女は語る。
「当たり前のことだろう?」
「殿はちゃんと仕事しないから、偉くありません」
「確かに、私は仲達よりも仕事をしないな」
 あっさりと青年は認めた。
 話題の人物がこの場にいないことが、幸いなぐらいに。
「でしょう!
 だから、司馬懿様の方が偉いです」
 嬉しそうには言った。
 その眼差しには嘘がなく、その口調には淀みがない。
 間違いのない忠誠が得られることだろう。
「さすが仲達の護衛武将だな」
 曹丕はうなずいた。
「え?」
「仲達が一番なのだな」
「もちろんです!」
 魏の最高権力者を目の前にして、少女は言い切った。
「仲達は果報者だな。
 私もお前のような護衛武将が欲しい」
 曹丕は言った。
「へ?
 魚ちゃん先輩がいるじゃないですか!?
 あんなに綺麗で、やさしくて、頭が良くて」
 は指折り数えて、先輩武将の良いところを挙げていく。
「だが、足りないものがある。
 絶対の忠誠だ」
 青年の言葉に、少女は小さく笑う。
「私も殿にはあげられません」
 歳よりも幼く見られがちな少女の、歳相応な表情だった。

「私の忠誠は、ぜーんぶ司馬懿様のものです!」

 それは、あまりにも当たり前のことだった。
 こんな答えが聞きたかった。
 日常的に裏切りが行われ、自分以外信じられない世の中だ。
 その中で、損なわれずに輝く絆は、かけがえのないものだ。
 だから、曹丕も機嫌良く微笑んだ。
「そうか」

「こんなところで何をしているんですか!?」

「司馬懿様」
「仲達」
 声の質に違いはあれど、同じタイミングで名を呼んだ。
 青紫の長袍をまとった男はズカズカと二人に歩み寄る。
「仕事はどうしたんですか!?」
 司馬懿は青筋を立てながら、主君に尋ねる。
「見ての通り、遊んでいた」
 ちっとも悪びれずに、曹丕は言った。
「冗談は休み休み言ってください」
「冗談ではない。
 私はいつでも本」
「早く、政務宮にお戻りください!!」
「……………わかった」
 曹丕は腰を上げた。


 ◇◆◇◆◇


「何を話していたのだ」
 司馬懿は尋ねた。
 見慣れた書斎で、己の護衛武将は火鉢にあたっていた。
 犬と一緒に庭を駆けずり回っていそうな少女だったが、冬の寒さには閉口するらしい。
 この時節、日が暮れると火鉢の傍にずっといる。
「昼間、殿と何を話していた?」
「あ、そのことですか?
 司馬懿様のことですよ〜」
 半分眠りの世界にいるのか、その声は常よりも抑えたものだった。
 夢見るように半ば伏せられた双眸の色は、外の色。
「ほお」
「別に、変な話していませんよ」
「ならば言えるな」
「司馬懿様が偉いっていう話をしていたんです」
 は微笑んだ。
「身分の話か」
「違いますよー。
 司馬懿様は、頑張ってるから偉いんです。
 そういうお話です」
 少女は唇をとがらせる。
「頑張る?
 私は努力などしていない」
 司馬懿は書面に目を落とす。
 護衛武将のたわいないおしゃべりを聞きながら、この程度の仕事は片付けられる。
「お仕事、一生懸命にやってるじゃないですか。
 だから偉いんです」
 単純明快な少女は、これまた単純な答えを出す。
「仕事を不真面目にやる奴がいるか」
 憮然と司馬懿は言った。
「そういうところが偉いんです」
 は嬉しそうに言った。
「私にはお前の考えていることがわからない」
 投げやりな言葉に
「私は、ちゃんと知ってますから、大丈夫です」
 しっかりとした答えが返ってくる。
「わからぬ」
 ためいきと共に司馬懿は言った。
「考えても無駄ですよ。
 司馬懿様には、一生かかってもわかりません」
「何だと?」
 司馬懿は顔を上げた。
 宵闇色の瞳と視線が交わる。
 そこにたたえられた輝きが混じりけのないものだったから、司馬懿は息を呑んだ。

「司馬懿様が大好きです」

 話の筋道をぶった切るような言葉を少女は口に乗せた。
「信じられん」
 司馬懿はためいきをついた。
 太陽が好きだといったのと同じ口調で言われても、何のありがたみもなかった。
 それは特別ではなく、ありきたりなものだった。
 少女の「大好き」は日常的すぎた。
「そんな司馬懿様には、私の気持ちはわかりませんよ」
 はクスクスと笑った。


 私の好きな人は、とっても偉い人です。
 身分とか、そんなものじゃなくて、とっても偉いんです。
 お仕事に一生懸命で、補充が利くような護衛武将のことも考えてくれて、それを当たり前だと思っちゃうんです。
 とっても、とってもスゴイ人なんです。
 だから、その人を守りきることができるぐらいに強くなりたいです。
 私が護衛武将で良かった、と思ってもらえるようになりたいです。
 
 それが私の夢です。

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お題配布元:お題場