02.大好きな人


「司馬懿様。
 私の大好きな人を紹介します!」
 ニコニコとは言った。
 司馬懿の手が止まる。
 墨がたっぷりとつけられた筆がふるふると震える。
「興味がない」
 一呼吸置いてから司馬懿は答えた。
「そんなこと言わないでくださいよ。
 話、そこで終わっちゃうじゃないですか」
 不満げに少女は言った。
「時間の無駄だ」
 司馬懿は続きを書くことを断念して筆を置く。
「その人はとってもカッコ良いんですよ。
 紹介するから、一緒に来てください」
 は司馬懿の袖を引く。
「私は忙しい」
 冗談じゃなかった。
 死んでもそんな相手の顔は見たくない。
 司馬懿の心境などお構いなしに、は続ける。
「またまた〜。
 今、暇そうにしていたじゃないですか。
 こっちです」
 

 連れてこられたのは、人気のない庭。
 主の寵を失ったのか、それとも気に障ることでもあったのか、その庭は打ち捨てられたようだった。
 風雅な東屋は蔦に覆われ、艶やかな花の隙間を縫って、益体もつかぬ草がはびこる。
「その人は背が高いんですよ」
 歩きながらは言った。
 その声が癇に障る。
「お前より背の低い男は少ないだろう」
 司馬懿は憮然と答える。
「その人はとっても頭が良いんです」
 少女は気にせず、おしゃべりを続ける。
「お前より馬鹿なら、人間として救いがないな」
「それだけじゃなくて、けっこう戦いも強いんですよ」
 は手離しで褒める。
「このご時世、生き残るためには武力も必要だろう」
「その人は自分の信念を持っているんです」
 まるで自分のことを自慢するように話す。
「はいはいをするような子どもではあるまいし」
「それに、頼りになる人なんです」
 喜びで満ち満ちた声が綴る。
 自分ではない、誰かのことを。
「お前が頼りなさ過ぎるのだろう」
「その人は私にとってもやさしくしてくれるんです」
 夢を見るような瞳とはこのことだろうか。
 やさしくされた記憶でも思い出しているのだろうか、とても嬉しそうな顔をする。
 それが憎たらしかった。
「ずいぶんとお節介な人間もいたものだ」
「しかも、将来有望♪」
「また、金の話か」
 不快になっていく。
 わずかなことが苛々の原因になる。
 自分らしくないことぐらい、司馬懿にだって自覚はある。
 だが、我慢できないのだ。
 少女が語る男が、どうして自分ではないのか。
 どす黒い炎が身のうちを焦がす。
「それで……その人の傍にいると、すっごい幸せな気分になるんです」
 大切な、本当に大切な宝物のように、は静かにささやいた。
 吸い込まれそうな黒い大きな瞳が司馬懿を見上げた。
「……ずいぶんと都合の良い相手が見つかったものだな」
 青年は嫌味を言えなくなってしまった。
 少女が本当にその男を好きなのだ、とわかってしまった。
 だから、司馬懿は何も言えなくなってしまった。

 が立ち止まる。
 その紹介する相手とやらがいるのだろう、と司馬懿は辺りを見渡した。
 廃園に人影はない。
 見渡す限りの無秩序で、活気のあるものはない。
 強いてあげれば、目の前の池に不釣合いな緋鯉が泳いでいるぐらいだった。
「人間ではないのか?」
 司馬懿はを見つめた。
 小柄な少女はこれ以上ないぐらいの幸せそうな笑顔を浮かべる。
「ちゃんと、そこにいますよ。
 池を見てください」
 に言われて、司馬懿は池を覗き込んだ。

「私の大好きな人を紹介します。
 それは、司馬懿様です!」

 能天気な声が言った。
「くだらない。
 やはり、時間の無駄だったな」
 司馬懿は一笑した。
「えー、どうしてですか!?
 一世一代の告白のつもりだったのにぃ。
 どこが悪かったんですか?」
「全部だ」
 何もかもがくだらない。
 あらやこれやと考えていた自分が一番くだらなかった。
「救いがないにもほどがあります」
「間抜けだ」
 司馬懿は水面に映った己を見た。
「そうかもしれませんけど。
 一生懸命考えたんですよ」
 不満そうには言った。
「そうではない」
「?」
 水面に映る少女が小首をかしげる。
 困ったことがあったとき、わからないことがあったときの癖だ。
「それで、紹介した後どうするつもりだったのだ?」
「へ?考えていませんでした」
 考えなしの返答に司馬懿は少女らしいと思いながらも、苦笑した。
「言うだけ言ってすっきりして終わりか。
 愚かだな。
 ここで私がお前に興味はなく、そういう想いを持たれるのも迷惑だから、解雇すると言ったら、どうするつもりだったのだ?」
「……そうですよね。
 えーっと、じゃあ聞かなかったことにしてください。
 クビはちょっと困るんで!」
 は必死になる。
 水面に揺れる少女の影に青年は目を細める。


「私の大切な者も、ここに映っている。
 それが答えだ」


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お題配布元:お題場